2025-06-15

20250614① ドールハウス

 事故で我が子を喪ってふさぎ込んでいたお母さん。たまたま骨董市で日本人形を見つけたお母さんはその子を家に迎え、我が子に接するように可愛がる。やがて元気を取り戻し第2子にも恵まれたことで、彼女の人形への関心は薄れていった。しかし、そこからこの家では奇妙なことが起き始める。

 お母さん役の長澤まさみは特に序盤、絶叫といい、憔悴しきった様子といい、本当に見ていていたたまれない気持ちになる芝居で、そりゃ変な人形に入れ込むのも致し方ないなと思わされる。

 とはいえ、観ているこちらは現代人だ。髪がのびる人形や、捨てても捨てても戻ってくる人形の怪談話に触れたことはあっても、どこかで「科学的に説明がつくのではないか?」と疑いの目で見てしまう。人間の言うことにしたって、もしかしたら思い込みかもしれないし、統合失調や夢遊病などの疾病、子どもがついた嘘、あるいはイマジナリーフレンドなどと考えられなくもない。

 そういう疑いを持ってしまうポイントはご夫婦以外の部外者までが怪異に襲われることで一つ一つ丁寧に否定されていき、「やっぱりガチなのかもしれん」と思わせる方へ誘導されていく。そこからはアヤちゃんを特級呪物だと思ってちゃんと怖がることができた。

 終盤は二転三転どころではない攻防があり若干ダレてしまったけれど、アヤちゃんがフィジカル面でも心理面でも非常に強く存在感を見せつけてくれるので、貞子とは異なるベクトルで恐ろしい子として印象に残った。


 でも、疑問が残る。

 あの家には第2子が生まれたが、ご夫婦にとっていちばん愛情を注ぎたかった・執着している存在は、亡くなった1人目の子なのではないか? お母さんは第2子にたいして1人目ほど関心を持っていないのではないか? 観ていて何となく考えてしまった。

 まず母方の祖父母について一言も触れていないのが(話の構成上お義母さん一人いれば充分なのは分かるが)不自然だし、第2子の背中の引っ掻き傷、第2子の口に付いていた血、噛み跡をつけたのは誰か、見守りカメラの映像で聞こえるというアヤの声が聞こえない等、はっきりとは明言されない点が残ったままだ。

 女の子も5歳をすぎるとこまっしゃくれてきて母親の言うことを聞かない時も出てくるだろう。

 もし、可愛がりたい対象としての子ども像のまま、歳もとらなければ反抗もしない子どもとずっと暮らしていたいとご夫婦が願ってるとしたら?


 夫婦の悔恨の念にアヤちゃんがつけ入ったのか、それとも。

 親の無償の愛とやらが標準装備ではないのだとしたら、この映画の見方はガラリと変わってしまうのかもしれないな、と思った。



20250502 マインクラフト/ザ・ムービー

 一言でゲーム原作の映像化といっても、いくつかのカテゴリがあると思う。
 ためしに鑑賞済の作品から無理やり4つに別けてみた。ちなみに原作ゲームは一つもプレイしたことがない。映画だけ観ている。
【1】ゲームの世界観を映像化したもの
 ダンジョンズ&ドラゴンズやモータルコンバット、名探偵ピカチュウ等々。
【2】観客がそのゲームで遊んだ記憶が重要になってくる作品
 ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービーや、ドラゴンクエスト ユア・ストーリー等。
 1と2に明確な境界線はないかもしれない。が、プレイ経験のない観客が置いてきぼりになる部分があったのでいちおう別けておく。
【3】特定のゲームが存在する前提で描かれる現実世界の話
 レディ・プレイヤー1やグランツーリスモ、ピクセル等。
【4】我々の現実世界とゲームのキャラクターやモチーフが交わる作品
 ソニック・ザ・ムービーやバトルシップはこれにあたるのではないだろうか。

 映画のマイクラは【4】我々の現実世界とゲームのキャラクターやモチーフが交わる作品だろう。劇中世界のアイダホ州にはゲームの「マインクラフト」は存在しない。鉱山に隠されたポータルを通って異世界へ立ち入る。
 異世界には立方体がベースとなった動植物が生息していて、人間たちが右往左往しながら道具や食べ物をこしらえて生き延びる。やってる事は原作ゲームと同じだが、関わり方にハッキリした境界線がある。

 リアルの人物は体形が特徴的。しかもメインで動く男は2人ともに、髪・ヒゲがもじゃもじゃで、お腹が出ている(立方体との対比で丸いのかもしれない)。
 彼らはいずれも不格好で、鮮やかなブルーの服を着たヒゲおじさん(小)は変な歌を唄ってるし、鮮やかなピンクの服を着たヒゲおじさん(大)は基本的に悲鳴要員であまり役に立たない。

 壊したり作ったりすること=創造の楽しみを描きつつ、各登場人物が自らを作り変えていくストーリー仕立て。起承転結があるのはゲーム未プレイの人に優しい作りだなと感じた。
 逆に、マイクラで遊んだことがある人にとっては、ストーリーがあることがノイズになってしまわないか、とも思った。

 できればフィクションの映像作品もゲームも、現実と切り離して存在してくれたほうが嬉しい気がする。