事故で我が子を喪ってふさぎ込んでいたお母さん。たまたま骨董市で日本人形を見つけたお母さんはその子を家に迎え、我が子に接するように可愛がる。やがて元気を取り戻し第2子にも恵まれたことで、彼女の人形への関心は薄れていった。しかし、そこからこの家では奇妙なことが起き始める。
お母さん役の長澤まさみは特に序盤、絶叫といい、憔悴しきった様子といい、本当に見ていていたたまれない気持ちになる芝居で、そりゃ変な人形に入れ込むのも致し方ないなと思わされる。
とはいえ、観ているこちらは現代人だ。髪がのびる人形や、捨てても捨てても戻ってくる人形の怪談話に触れたことはあっても、どこかで「科学的に説明がつくのではないか?」と疑いの目で見てしまう。人間の言うことにしたって、もしかしたら思い込みかもしれないし、統合失調や夢遊病などの疾病、子どもがついた嘘、あるいはイマジナリーフレンドなどと考えられなくもない。
そういう疑いを持ってしまうポイントはご夫婦以外の部外者までが怪異に襲われることで一つ一つ丁寧に否定されていき、「やっぱりガチなのかもしれん」と思わせる方へ誘導されていく。そこからはアヤちゃんを特級呪物だと思ってちゃんと怖がることができた。
終盤は二転三転どころではない攻防があり若干ダレてしまったけれど、アヤちゃんがフィジカル面でも心理面でも非常に強く存在感を見せつけてくれるので、貞子とは異なるベクトルで恐ろしい子として印象に残った。
でも、疑問が残る。
あの家には第2子が生まれたが、ご夫婦にとっていちばん愛情を注ぎたかった・執着している存在は、亡くなった1人目の子なのではないか? お母さんは第2子にたいして1人目ほど関心を持っていないのではないか? 観ていて何となく考えてしまった。
まず母方の祖父母について一言も触れていないのが(話の構成上お義母さん一人いれば充分なのは分かるが)不自然だし、第2子の背中の引っ掻き傷、第2子の口に付いていた血、噛み跡をつけたのは誰か、見守りカメラの映像で聞こえるというアヤの声が聞こえない等、はっきりとは明言されない点が残ったままだ。
女の子も5歳をすぎるとこまっしゃくれてきて母親の言うことを聞かない時も出てくるだろう。
もし、可愛がりたい対象としての子ども像のまま、歳もとらなければ反抗もしない子どもとずっと暮らしていたいとご夫婦が願ってるとしたら?
夫婦の悔恨の念にアヤちゃんがつけ入ったのか、それとも。
親の無償の愛とやらが標準装備ではないのだとしたら、この映画の見方はガラリと変わってしまうのかもしれないな、と思った。
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