2025-12-07

20251101 火の華

 鑑賞前は花火作りにフォーカスした人のあたたかさ~的な話なのかと思っていた。

 観てみたら思ったよりミリタリー要素を強く感じた。


 主人公は国連の平和維持活動で海外に派遣されていた自衛隊員の島田という男性。現地で起きた出来事がきっかけで島田は隊を辞め、いちおう社会復帰は果たしたものの時折“あの日”のフラッシュバックに苛まれている。

 ある日島田は勤務先で暴力沙汰を起こし、会社を辞めることになってしまう。しかしこれまでの勤務態度を理由に社長が厚意で別の仕事先を紹介してくれた。それが、舞台となる花火工場。よりにもよってトラウマと直結している「火薬を扱う仕事」だった。

 花火作りを通して島田は新しい人生を歩み出すのだが…という話。


 実際に報道されたニュースから着想を得たとのことだが、多分フィクション寄りの話ではないかと思う。

 花火工場は新潟県にある設定で、長岡の花火大会より後というタイミングで島田は花火工場に入社する。長岡の花火大会についてはたまたま『長岡大花火 打ち上げ、開始でございます』というドキュメンタリーで観たことがあった。スクリーンで見てもとてつもない迫力を感じた。

 あのデカイ花火を打ち上げるなら、島田には可哀想だがPTSDで錯乱するには非常に適していた土地だったと思う(ヒドイ)。


 自衛隊まわりの設定はどこまでリアルなのか知らない。基地も実際のものとはだいぶ異なるのだろう。さすがに現実の自衛隊がそんな簡単に銃器を横流ししたり要人を誘拐されたりはしないだろう、と思った。

 基地の警備がザルなところや公共放送ジャックも含め、並行宇宙の日本だと思って観るぐらいでちょうどいいかもしれない。


 なので「そうはならんやろ」と感じる部分はたしかにある。

 けれども、作品の規模でギリギリ「本当にやれそうな空気」というか、違和感を持たずに観られる画づくりがされていた。とくに後半はずっと緊張しっぱなしだった。


 レーティングはG(全年齢)だし中学生でも理解できる英語しか出てこないので、ガンアクションも花火も平和について考えるのもいっぺんにやりたい人にはいいのかも。



20251012 (吹)トロン:アレス

 吹替版のアレスはプログラムに音声ソフトのイイ声のっけました的な雰囲気があった。

 アレス、というよりプログラムが喋るとき抑揚をつけて話すのか疑問だったけれど、用途によるんだろうか。
 ディリンジャーの孫なら、効率を求めて「声のトーンなんかいらない」と答えそうな気がする。転送前のアレスと会話する際はチャットを使っていたくらいだし。
 それと、学習を早めるために罰も与えていそうだなと思った。現実世界に出力されたアレスやアテナは、体が限界を迎えて崩壊するときに絶叫していて、あきらかに苦痛を感じているようだった。

 中盤の、アレスが生まれて初めて嘘をつく場面が好きだ。
 表情ひとつ変えずに、またほとんど棒読みで、あまりにもヘタな嘘をつく。当人からすれば冷や汗ものなんだろうけど(汗かかない)、それまでのスマートな会話をしていた口からしょうもないことを口走るチグハグさが微笑ましかった。

 長男アレスも長女アテナも創造主に忠実に従っていたが、今後もし新しいプログラムが登場することになったら、人間をあざむいたり人間を従えるプログラムなんかも出てきたりするんだろうか。そう思ったら、まだまだ息の長いシリーズになりそうな気がした。

 2度目の鑑賞にもなると、チェイスシーンの繰り返しにやや飽きてしまった。
 乗り物やサイズ感は違うので話が進むにつれて迫力は増すが、いずれも夜とか暗い背景に赤みの強いネオンカラーが走るのは同じで、これが2D版で観ると変化に乏しいように感じられた。

 私も3Dで観ればよかった。



20251010 (字)トロン:アレス

 2Dで字幕版と吹替版をそれぞれ1回ずつ鑑賞した。
 3Dや4Dで観た方々の感想を読むと、これは3D以上で観るべき作品だったなと思う。

 過去についてはオープニングで簡単に触れているので無印とレガシーはおさらいしなくても大丈夫な作りにはなっていた。
 しかし鑑賞後にまず思ったのは「無印は前以て観とけばよかった」だったりする。

 話のほうは、無印に登場したゲームがリメイクされて話題を集めている現代のアメリカという設定。リメイク版の開発に携わったキム姉妹が登場するところから始まる。
 逆に、レガシーで繰り広げられた物語はほとんど語られていないように感じた。話は繋がっているのであの世界にも当時を知る人はいたに違いないが、いかんせん登場しないのでどうなったか判然としない。
 きっとキム姉妹は何も知らされずに働いていて、レガシーの頃に開発されたデータについては知る由もなかったのだ、と、無理やり受けとめるしかなかった。

 この映画も過去作と同じように生身の人間が電脳空間に転送されてしまい、『はたらく細胞』のごとく擬人化されたプログラムと戦ったり仲良くなったりして、どうにかこうにか基底現実に生還するのは変わらない。
 新作は、そこに、プログラムであるアレスの視点が加わっている。
 アレスで描いていることは生みの親からの自立(創造主に反抗すること?)で、ありきたりだけれど感情移入しやすくなっていた。
 アレス君のプログラムらしからぬ言動も面白かったし、ジャレッド・レトの風貌も相まってユニークに感じられた。

 映像面はレガシーのイメージが強いため、赤やオレンジ色は既出だよなあと思ってしまった。
 どちらかといえば、プログラム内の景色よりも、あの何でも作れる3Dプリンタのほうが印象に残った。
 光線の当たった箇所がこんもりと盛り上がって黒い山のようなものができあがる。表面は全てサポート材で、バラバラと崩れ落ちると中から戦車やらAI兵士やらが出てくる。何が現れるか分からないところは緊張感があった。

 何でも作れる3Dプリンタと、劇中でいうところの「コード」がヒトの手元に揃うというのは、やろうと思えば人間が交尾なしに生命を創れるようになることを意味するだろう。
 ディリンジャーの孫がどこまで考えてあのような行動に走ったのか分からないが、彼は、AIが自我に目覚めるのよりも危ないことを始めてしまった気がする。
 もし続編があるとして、あれだとトロンシリーズはただの戦争の映画になってしまわないだろうか。

 最後にアレスは、自らの存在は人類と出会うにはまだ早いと言い残し姿を消してしまった。
 本当にその通りだなと思う。



20251004 ワン・バトル・アフター・アナザー

 活動家の女性に誘われてアメリカで移民を救う運動に参加していた主人公が、女性が警察に捕まったことで生まれたばかりの赤ん坊を連れて逃亡しなければならなくなり…という話。
 イマドキの何か保守層の白人男性を小ばかにするような雰囲気があったように思う。

 女性活動家の振るまいは強くて自由な女というより身勝手に見えてしまい、格好いいとは受けとりづらかった。
 ディカプリオ演じるお父さんも、(経緯が経緯とはいえ)年頃の娘にガラケーしか持たせないし、いろいろと口うるさい。その割にはお父さん自身はユルみきっていて暗号忘れちゃってたりで、面白おかしく描かれていたが「娘守れてねーじゃん」とツッコみたくなった。
 娘よくグレなかったなと思う。

 下品なところも含めいろいろ笑って観ることができて楽しかった。
 中盤のセンセイも好き。



2025-09-21

20250919 ボーイ・キルズ・ワールド:爆拳壊界流転掌列伝

 シネコンで開場時に「〇〇時から上映開始のボーイ・キルズ・ワールド ばくけんかいかいるてんしょうれつでん」と淡々とアナウンスされるのでちょっと笑ってしまった。
 ふざけた邦題だと思ったが、観てみると文字どおりの話だったから間違っていない。
 ゴア描写は実写版『モータルコンバット』より凄かったと思う。

 家族と聴覚と声を奪われた男の子が、自らをそのような境遇へと貶めた世界を殴り殺すまでの壮絶な復讐劇。主演はビル・スカルスガルド。身体も目ぢからもバッキバキ。

 舞台は世襲独裁で腐敗しきったとある地域。この土地では予め用意されたリストをもとに連行した住民をなぶり殺しにするお祭りが年に一度開催される(生放送。番組にはスポンサーまでついている)。
 そんな土地で過去に深い傷を負った主人公を殺戮マシンに鍛え上げるのが、シャーマンと呼ばれる謎の男で、このシャーマンの強さが化け物じみている。
 演じたヤヤン・ルヒアンは『スカイライン-奪還-』とその続編でしか観たことがなかった。スカイラインも格好いいけどそれ以上だった。この人なら芝居の演出ではない場面でも人を殺せるのではないか、と思わされた。

 シャーマンによる特訓法はまさに地獄だと感じた。復讐に必要か微妙な生き埋めとか、粗末な食事、未成年の男の子に麻薬とおぼしき煙を吹き掛けるなど。良い師匠とはとても言い難い。
 成長した主人公も、努力のすえ立派な肉体を披露してくれるが、そもそもトラウマが癒えないままなので意識がボンヤリとしてる描写や幻覚・幻聴に苛まれる場面がちょいちょいある。亡くなったはずの妹が在りし日の姿のまま語りかけてくるところはどういう心理なのか。精神科の先生の見解も聞きたくなった。

 ストイックな肉体づくりとアクションに、幻覚・幻聴や周囲の人間のトチ狂ったキャラが合わさって、ドタバタ劇の一面もありギャップが激しい。
 二転三転する展開、とくに後半の流れからは『アーガイル』を思いだした。私がよく知らないだけで“記憶”にまつわる筋立ての定石みたいなものがあるのかもしれない。

 暴力描写だぜぇヒャッハー! と面白がる目的で観に来たのに、死体の数に若干引きかけたりもした。
 しかし、復讐の対象となった一家の長女(とその婿)や長男は、肝心なところに気づかなかった点から見ても救いようがない。父親の不在や母親の思想など複雑な家庭環境なのは想像できなくもないが、それでも母親に従い続けてきた彼らに情けをかける必要はないかなと思った。
 だいぶ残虐な方法ではあったが主人公が彼らに手を下す根拠はちゃんと描かれていたのではないか。

 この映画の主題は、いちおう、
「全体主義という地獄からの脱出」
を掲げている。

 過激な親殺しの物語だと思えば全然悪くない。
 私は大好きだ。