2024-02-26

20240223 コヴェナント 約束の救出

 TOYOTAのピックアップトラックが映るたび何とも言えない気持ちになった。

 中東での軍事行動中に文字通り命がけで死地から救ってくれた通訳の男を、ジェイク・ギレンホール軍曹が助けに行く話。

 戦闘シーンより何より、
「通訳の男がいかに大変な思いをして軍曹を救ってくれたか」
の描写がこの物語のキモ。
 これが、もう、それはそれは丹念に、時間を割いて描かれている。
 その説得力たるや。

 なんなら通訳の活躍をドンパチより徹底的にやっている。もはや戦闘シーンが弱いとすら感じる。
 最後の銃撃戦だってもっとスリリングに描くこともできただろうに、かなり大雑把に片付けられていた。
 追ってくるタリバンの戦闘員も、「逃走中」の終盤でハンターを大量投入するような勢いで補充されていくものだから、まるで100人スミスとかコント番組やマッドマックスを見ているようだった。旗か、旗が悪いのか。
 同じく実話ベースで中東でドンパチするものなら『アウトポスト』のほうが、まだ絵的に命の危機を感じやすいかもしれない。

 それだけ通訳の男がよく頑張ったから、誰が見たって「アイツを助けに行かないと死んでも死にきれないヨ!」と思わされるのだけど。

 何より生還した軍曹自身が、家族のもとへ帰ることができたのを喜ぶどころか、「呪い」と表現して苦しんでいるところが凄まじい。

 良し悪しはともかく、それくらい通訳に比重が置かれていた。

 思い返してみればギレンホール軍曹、撃たれてからは特に何もしていない。本編のうち3割くらいは運ばれてるだけだった。
 通訳の男に助けられ、嫁に助けられ、(借りを返してもらったカタチとはいえ)上官に助けられ、パーカーにも助けられ。
 なおかつ異様なエイム力に助けられている。

 何か色々おかしなところがある映画だった。


メモ①
 実話ベースの中東軍事モノ(?)を2〜3作観てみたら、空爆で決着をつけるものが続いた。
 そのせいか似たりよったりな印象を受けるというか、飛行機が出てくると終わりの合図に見えてしまう。

メモ②
 字幕は松崎広幸さん。
 専門用語には説明が添えられていた。
(ゴールデンカムイでアイヌ語の意味を同時に表示していたのと同じような配置)
 ミリタリーに疎いのでああいった記載はとても助かる。



20240211 ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人

 ジョニー・デップ裁判後の復帰作、とうたわれていなかったら観てなかったと思う。

 豪華な衣装とセットで繰り広げられる、お金のかかった昼ドラって感じ。
 きらびやかな景色を史実とか気にせず見たい人には合っているのではないか。
 観客の男女比は、私が観に行った回は9割女性だった。
 ヴェルサイユ宮殿も清潔感にあふれていて凄くきれいだった。

 フランス革命と聞いて思い浮かぶような血なまぐさい描写は一切ない。ルイ15世暗殺未遂の罪によって八つ裂きの刑に処されたロベール=フランソワ・ダミアンも、死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンも、ギロチンも出てこない。

 『ナポレオン』を観た後での鑑賞だったのも落差に繋がったかもしれない。
 ナポレオンでは冒頭でマリー・アントワネットがギロチンにかけられる。そのシーンが記憶に新しく、本作でたいへん可愛らしいマリーが登場した瞬間「ああ、この子が最期ああなっちゃうんだ」と気の毒になってしまった。
 鑑賞した順番のせいで、マリー・アントワネットのほうがデュ・バリー夫人より酷い目に遭ったイメージが出来上がっちゃってて参った。
 言うて己の境遇を選べなかった度合いで言っても、マリーのほうが可哀想な気がする。

 デュ・バリー夫人はある程度の年齢になってから自らの意思で宮廷に接近した人として描かれており、イマドキの言葉で表すなら、田舎の出身で上京後に歯止めが利かなくなったパパ活女子のような印象を受けた。
 豊かな暮らしを求める気持ちは理解できなくもない。生活の安定を求めて何が悪いと言われたら返す言葉もない。自分を貫いた女性のように見せようとする意図は察せられる。
 それはそれとして、たとえば子どもを可愛がる時のおままごと感とか、彼女が良い人認定した男性だけがやたらヒーローちっくに描かれたりしている点だとかが、言葉を選ばずに言えば年齢のわりに幼稚に見えた。ある意味それも彼女らしさなんだろうけど、観ててイラっとした。

 加えて、監督自らが主演という点も、正直イタいとしか思えなかった。
 しかし、後になって、監督自ら主演する作品って色々あるよなーと思いだした。タイカ・ワイティティとか、北野武とか。それと何が違うのか。
 思うに、ジャンヌ〜は内容がロマンスだからキツかったのではないか。知らん女の夢小説を読まされてるみたいで。

 あと、ルイ15世への想いの強さという意味でなら、もっと惹きつけられた人物がいる。ラ・ボルドだ。
 彼のほうがよっぽど国王に対する愛を持っていたように見えて良かった。

 この監督さんの見せ方も演じ方も、男の趣味も、何か合わないなあと思った。

 総じてデュ・バリー夫人を好きになれるポイントが見出せなかった。




2024-02-12

20240127 ゴールデンカムイ

 2023年中に『コカイン・ベア』で荒れ狂う熊を、『SISU』で不死身とあだ名された激つよ兵士を観てしまったので、金カム要素は充分満たされていた。
 比較してもしょうがないし普通に観よう、くらいのなだらかな気持ちで鑑賞した。

 見た目ではアチャ役の井浦新が一瞬の出番だったけど惹き込まれた。澄んだ眼をしながら何考えてるのか分からない、ヤベェ人の雰囲気があって好き。

 映像のほうは、構図まで原作そっくりそのままに再現されていたのが、驚きよりむしろ困惑してしまった。
 初登場時のキャラが立ってない尾形とか。
 わざわざクルッと回ってカメラに向かってから決めゼリフを言う土方歳三とか。
 原作既読勢が実写版をシビアに見る傾向があるのは色んな作品が映像化されるたびにSNSで目の当たりにしてきたし、私も思い入れのある漫画が実写化されてアレ? となったことがある。主人公の見た目が変わりすぎたという意味であれば『昴』とか。だから気持ちは分かるけど、ここまで「外すことが出来ない」みたいな空気になったんだな、と思うとビミョーな気分になった。アングルまで揃える必要あったんだろうか。

 とはいえ、そもそも扱われる要素が多岐にわたる金カム、どこを活かすか・どこを省くのかを決めるのが素人目にも難しそうな作品だろうに、できうる限り取りこぼさず活かそうとしていたのも伝わってきた。

 全体的になぞり過ぎな印象を受けたのは、「らしさ」を失わないためにこだわった結果なのかもしれない。と受けとめようと思う。

 主人公は声が高めなのと序盤でイケメン喋りしてるのが何か苦手だなあとはなりつつ、後半の
「ウンコじゃねえっつうの」
あたりは、心を開いた感じがしてホッコリした。



20240120 VESPER/ヴェスパー

 ほぼナウシカだけど凄い好み。
 虫がダメな人にはお勧めしない。

 舞台はなんか色々あって荒廃した地球。一部の富裕層だけが暮らせるコロニーの外で苦しい生活を余儀なくされている人々がいて、同じく外で生まれ育った少女が貧困から抜け出すために足掻く話。

 基本的な流れはポストアポカリプスものの典型だけど、用いられる舞台装置がSF超大作によくある無機物ではなく有機物で構成されているのが物珍しく感じられた。
 なんならヒロインの横にふわふわ浮いてる丸いやつもAIではない。高性能マシンに見せかけて、あれはただのお父さん専用無線機だ。しかも中をいじるとクチュクチュという汁っぽい音がする(どういう構造なんだ……)。
 そういう感じのモノは他にもまだあって、
・エロ同人に出てきそうなウニョウニョしたトンチキな植物たち
・おもに労働させるためだけにデザインされた、知能を持たず、痛めつけられても叫ぶことしかできない人造人間
・おもてなしの食事には貴重なタンパク源もといフレッシュなミミズを盛り付け
 などなど。
 出てくるものがことごとく生理的嫌悪に直結しかねない要素を孕んでいる。
 メイドインアビスとか好き好んで読むような人なら楽しめるんじゃないか?

 あと、こういうテーマを大っぴらに語った作品ではないけれど、女性の自立といった側面も描かれているように感じた。
 ヒロインのヴェスパーちゃんは、消息不明のお母さんのことを引きずりつつも食うに困らない生活を目指して植物の研究と創造にいそしむ頑張り屋さん。
 カメリアは元々依存体質っぽい女性だったが、自分に出来ることを考えて行動するに至った。当人にとっては悪手だしお話の勢いがあそこで失速した感は否めないが、彼女が自分で決めたという点が大事なのだと思う。
 ヴェスパーのお母さんも、理由こそ不明だが家族を棄てたのには何らかの覚悟があったと思われる。

 しかし、画で語るスタイルのため説明がほとんどないのが難しい。
 荒廃した地上におっ立っている廃墟が何なのか、あの死体はいつからああなのか、映画の最後はどうなったのか、BLAME! 並みに説明してくれない。

 何となくだけど、あれは
「一人の少女はやがて沢山の協力者と出会い、支えられ、新種の植物の創造にも成功し、コロニーの住人に立ち向かえるほどの力を持った女性に成長します」
と言いたかったのではないか。

 ほぼナウシカですね。



20240112 アクアマン/失われた王国

 ジェームズ・ワンが監督でもこういう時ってあるんだな、意外だなあ、と思った。

 ヴィランがぱっとしないのがどうにもこうにも。
 ブラックマンタがあまりに不甲斐ない。

 映像は「やりたかった事を全部詰め込んだんだろうな」と思わされる。イメージボード通りに作りたい! となるようなアイデアが沢山あったということなんだろう。良い悪いは別にして、思いつくのは凄いなあと思う。

 だけどCGパートの人間の動きがいかにもCGくさくて違和感も残る。
 どのキャラもスパイダーマンみたいにシャカシャカ動く。そこだけ水中の設定が抜けているんじゃないかというくらい、すっげえシャカシャカ動く。
 前作より物理的に一回り大きくなったモモアマンも、リアルは離婚騒動ですったもんだした嫁(でも降板しなくて良かった。どんな理由であれ途中でキャストが変わるのは嫌だ)も、作中でいちばん美人の母ちゃんも、やたらシャカシャカ動いている。

 あのシャカシャカした動き、大作映画というよりゲームのグラフィックにしか見えなくて苦手だ。
 何とかならないもんかなあ。




2024-02-03

20231229 アンブッシュ

 パトロール中のUAE軍がゲリラの待ち伏せ攻撃を受け、救出作戦が遂行されるもかなり苦戦してしまう話。
 砂漠迷彩の兵士と、砂と同じ色の装甲車が、見てて新鮮だった。
 
 登場人物のキャラとそれぞれの関係性の描写もそこそこに8割方ドンパチしてるミリタリーアクションだけど、戦況の変化がそのままドラマになっていて、密度は充分あると感じた。
 全員の顔が濃くて最初ちょっと見分けがつきにくい。

「子どもが誘拐されてテロリストとして育てられる」
「(反乱軍に捕まり)人質にされるのは何としても避けたい」
 ハリウッド映画ではなかなか聞けないセリフが飛び出すのも印象深い。

(追記)
 本作を鑑賞した日の夜、テキトーな店に入ってカツカレーを食べたら食中毒に。
 深夜に猛烈な吐き気に襲われ、小一時間おきにトイレに駆け込んでいた。
 4回目くらいからは胃液しか出てこなかったが、ウトウトしかけたところに胃のほうから「すみません、トイレに連れていってください……」と訴えてくるような状態。ひと晩で十回は吐いた気がする。
 嘔吐がおさまると今度はお腹が下った。
 水分を摂っても摂っても、そのまま尻から出ていく勢い。シャーッて。この間は排尿が全くなかった。
 これは内臓から何かを洗い流すモードなのか、人間の体にはこんな機能が備わっていたのか、なんか凄いな、などとボンヤリ考えた。
 どのタイミングからかは思い出せないが微熱もあった。
 水様性下痢がひとまず止まってから、ドラッグストアに経口補水液と胃薬を求めて徒歩で向かった。その15分ほどの道中でも一発吐いた。
 水、スポーツドリンク、明治の老人向け栄養ミルクなど色々な飲み物を試したが、1時間後には吐いた。無駄遣いだった。こんな事ならずっと水だけ飲んでればよかった。
 「ツイッターやってたら実況できたのに。アカウントもう無ぇんだよなあ」と悔やみながら、飲んでは吐いて下すのを繰り返した。
 症状は2〜3日ほどで落ち着いた。しかし年末年始は帰省も大掃除も初詣も断念。回復に努めた。



20231210 窓ぎわのトットちゃん

 映画化されると知ってすごく気になっていた。
 いわゆる「落ち着きのない子」を、アニメーションで(動画的な意味で)どこまで表現できるんだろう? という興味があった。
 映像のほうは体の動きというより具体的なエピソードが主で、それもまあ女の子にしては好奇心旺盛で活発なお子さんですね〜くらいの、微笑ましく感じられるところまでで踏みとどまっているように見せている。後から振り返ると「やっぱりとんでもない事してたなあの子」ってなるけど。

 小学校退学と聞くと何をやらかしたんだ、学校側は何をやっているんだとなるかもしれないが、現代ならあの状況は加配で先生をもう一人増やすべきケースなわけで、そりゃ一人担任じゃ無理だったろう。
 そんな昔の制度ではカバーしきれなかった子ども達を引き受けて、彼らが毎日元気に通えて次の日を楽しみに待てるような学校の存在は、親御さんにとっても救いだったに違いない。
 先生方のフォローの大変さは計り知れない。子ども達が自由にのびのびやっている影で、気づかれないように何処かで見守っていたとしか思えない場面がいくつもあった。

 ほかに印象に残ったのは、戦争が日常にもたらす色彩の変化だ。開戦以降の落差が激しい。
 とはいえ映画館の客の半分くらいは子ども連れで家族で観に来ていたから、色彩の変化で子どもでも何かしら感じ取れる分かりやすさはあっても、保護者の方が後で説明する大変さはなくならない感じ。
 大人から見ると下の子が生まれるあたりなんかスゴイ説得力を持っているんだけど、あのへんもどうやって説明すればいいのか悩みそう。
 各ご家庭の歴史認識と語彙力が問われそうだ。

 ラストの空襲シーンで重苦しさはピークに達し、近くの席のチビっ子が「こわい……」とこぼすほどだった。
 校長先生の目のとこ、きっとそのチビっ子には、戦争にたいする心の底からの怒りが、ストレートに伝わったんだろうね。

 戦争にかんする描写はグロはなく安心して観ていられるくらい抑えめだったけど、変なところで凝っていた。
 M69焼夷弾の機構がやけに細かく描き込まれていた。



20231208 ウォンカとチョコレート工場のはじまり

 お仕事、はたらく事について考えずにいられない映画だった。

 人を活かすも殺すもチョコレート次第という特殊な地域に一人の青年がやってきて、夢みたいな世界を見せることができるチョコレートを創り出して自分の店を持とうとする話。
 カネを通して描いたら生々しくなっていたであろう話もチョコレートに置き換えると素敵なファンタジーに見えるのだから不思議だ。

 ミュージカルは苦手なので、鑑賞前はちょっと不安だった。
 以前観たアナ雪やウエスト・サイド・ストーリーなどは、歌パートに入ると歯を食いしばっていた。
 登場人物たちは歌い出したくなるくらい感情が昂揚しているから歌うんだろうけど、正直、鳥肌が立つ。丸の内仲通りのイルミネーションにむらがるカップルの今にもおっぱじめそうな空気とか、インスタのポエムとか、知らない人のLINEのやり取りを、不意打ちで食らっちゃった時のような感じに近い。
 なんかもう「やめて」って感じ。

 ティモシー・シャラメが歌うさまも想像がつかなかった。
 どうしても、あの、ととのった顔立ちが先に来てしまう(インターステラーの影の薄い長男は除く)。
 そして始まっていきなり歌い出した。
 意外と聴けた。
 というのも歌声がソフトで、ミュージカルにありがちなエモーショナル爆発! ではなかったから。たんに声量がないのかもしれないが、ミュージカル苦手な自分にはティモシー・シャラメくらいの歌い方のほうがちょうどいい。

 話も面白かったし、ミュージカルだからと食わず嫌いせずに観てよかった。

 ただ、彼の創ったチョコレートでありえないことが現実に起きる表現として出てきた、無毛の猫がフサフサになるシーンだけはイカンでしょと思った。猫にチョコ食わせちゃ駄目だろう。



2024-02-02

20231201② ナポレオン

 冒頭のマリー・アントワネットが処刑される場でナポレオンが人混みに紛れているくだり、若かりし頃のはずなのに「なんか老けてんな」と思った。
 さすがに全部ホアキン・フェニックスだと序盤が老けすぎな気がする。

 お話は当人目線でザ・俺の物語! 俺の歴史!!って感じだけど、ハタから見ると男の生態ってこんなもんだよな~と、何かちょっと半笑いになってしまうような、英雄の殻の外から透けて見えるものまで含めて幾層も重ねてお出ししました、みたいな、凝った塗装という意味での濃さがあった。

 たしかに男の物語だった。よくも悪くも。



20231201① 翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~

 12月1日(映画の日。安い)、ちょうど金曜日で観ようと思えば2本は行ける絶好の機会。

 前作では大いに笑わせてもらった。
 ただそれは自分が埼玉県出身者だからであって、冷静な判断はできていないと思う。

 じっさい2作目で滋賀県に舞台が移った途端、
「コレどこで笑えばいいの……?」
と戸惑う部分が多くなった。
 前作だって埼玉県についてよく知らない人から見たらそんな感じなんだろう。

 初めて部外者の気持ちで翔んで〜を観た感想は、金かかってんな〜! だった。画面の密度がとても高いように感じた。
 あと、明らかにアレと分かる工場のシーン以外にも、何かオマージュとかパロディをやっていそうな雰囲気は伝わってきた。映画詳しくないから元ネタまでは分からない。ただ、やけに印象に残るカットが盛り込まれているのだけは分かる。

 でも何だかんだ一番印象に残ったのは、杏が演じた“滋賀のオスカル“の美しさだった。