2025-12-16

20251121 果てしなきスカーレット

 観に行った理由は「SNSで酷評されていたから」だ。
 あまりに荒れていたのでレビューがあてにならなくて、これはもう自分の目で確かめなければならないと思った。

 予告編の時点ではあまり良いイメージは持っていなかった。
 しかし、鑑賞してみると、予告から想像したものとは真逆の印象を受けた。
 宣伝がことごとく裏目に出た感がある。

 まず、予告から感じたことのひとつに「顔と声が合っていない」というのがある。
 これについてはネット記事からプレスコ方式なのを把握したうえで観たのもあるが、感想は逆になった。「声に顔が合っていない」。
 役者さんの演技は真に迫るものですごく良かった。ただ顔はアニメのままなのが観ていて最後までしっくりこなかった。役者の芝居と、キャラのデザインや表情とのすり合わせが、うまくいっていないように感じた。
 それから坊主刈りの青年。予告から何となく自衛隊員なのかと思いこんでしまい、「戦わないで話し合おう」みたいな台詞に違和感をおぼえていた。
 この彼は看護師でありそもそも兵士じゃなかった。
 公開直前には渋谷で二人が踊る場面もお披露目された。時代背景どうなってんだと混乱してしまった。
 あの渋谷の風景は、順を追って観ていけば理屈のとおったシーンなのが分かる。

 細田守監督作で観たことあるのだと『未来のミライ』が好きだ。
 妹が生まれたことで「これまでの自分が唐突に終わってしまった」男の子くんちゃんが、目の前に現れた未知なる存在を自分の中にも形づくっていく話だったと受けとめている。
 普通の映画なら、犯人を捕まえる・エイリアンを返り討ちにする・恋を成就させる・全国大会を目指すなど、何かしらゴールが定められていることが多いものだと思う。その過程でスキルを身に付けたり勇気を出して一歩踏み出す姿と絵的な山場が重なって盛り上がったり。
 けれど、くんちゃんみたいに自分を変えなければならなくなる点に絞って物語を綴るのって、変化が細かいというか、絵的に地味だなとも感じてしまう。

 スカーレットも、特殊な空間に放り込まれて「父を殺した男への憎しみを募らせてきた、自分を終わらせる」ことになる。
 さまざまな時代の争いごとに巻き込まれて命を落とした人たち(の魂)が集まった場所で、よその国の文化に触れて、おいしいもん食べて、体を労わることを覚える。対立していた者の話に耳を傾けてみたりもする。
 争いを忘れ街の真ん中で楽しく踊る世界だってある(作れる)かもしれない、と、現実を変えたくなるような不思議な出来事まで体験してしまう。

 あんまりスピっぽいことを言いたくないけれど、亡き国王がスカーレットをあの場所に連れてきたんじゃないか、彼女に必要なものが集まるように願ったんじゃないか。そう思いたくなるお話だった。

 しかし、物語の「いいな」と思える部分と、動画のこだわりとは、噛み合っているようには見えなかった。
 動いているシーンだって格好いい。格闘戦では腰の入ったパンチが出るし、オバチャンの踊る姿も柔らかさがあって素敵だった。
 ただパートごとのバラつきも大きいように見えた。比重を置いたところは細かく作り込まれているが、スカスカに感じるところもあったり。

 こういうタイプの映画はオタク受けがすこぶる悪いみたいだから、今後はもう「これまでの自分が終わる」話は作られなくなるのかもしれない。
 こっちの世界があの死者の国そのままになっていって、皮肉な形で見直される日が来ないといいなと思う。


 SNSでの映画の炎上は、鑑賞前に抱いていたイメージと実際の内容とが大きく異なっていたうえに内容も尖ってる(=大衆ウケしない)作品だったことで起きてしまうことが多い気がする。
 とくにX(旧Twitter)は、いちど荒れると実際の内容より悪く書かれる傾向があると思う。過去に見た事のある別作品の炎上では、「これエアプじゃね?」と疑いたくなるようなコメントも見受けられた。


 いつか、「観てみたい」と思った時が来たら、いったん炎上のことは忘れて観てみるのもいいんじゃないだろうか。
 この映画はそういう、時を超えるタイプの作品だと思っている。



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