2024-10-22

20240724 (字)デッドプール&ウルヴァリン

 デッドプールの1作目が大当たりして以降はライアン・レイノルズのノリがだいたい同じに見えている。ピカチュウにせよGUYにせよ。

 際どいジョークで喋りまくる、映画パロディやメッタメタな中の人ネタ・時事ネタをこれでもかと盛り込む、懐メロをやたら流す。お客さんの目線をとてもしっかり意識されていて「裏切らない」人だなあと楽しく鑑賞しつつ、似たりよったりな印象も受ける。

 デップーも3作目だし、またいつもの要素が同じように出てくるんならもういいかな、でも予告のアクションは面白そうだし一応観てみるか、みたいな感じだった。


 ライアン・レイノルズのノリは相変わらずだったけど、今回は彼の横にウルヴァリンが常時ムスーッとした顔で立っていたのが良かった。両者の温度差からくるメリハリがあって。


 話のほうはロキ見てないとよく分からない作り。しかしデップーはメッタメタな映画で考察は不要というか、現実のコッチ側の出来事が引き金となってユニバースが増えてしまったのが可笑しかった。

 (大人の事情で配給がディズニーに変わり)映画内の世界線が分岐、FOX軸のほかにユニバースの番号が異なるMCU軸が新たに現れる。FOX軸のデップーやX-フォースの面々のエピソードは今後描かれることはなく、静かに消えていくことが確定。

 この何も起きない・描かれないFOX軸の世界が数千年かけて終わるのをただ見守るという任務についたパラドックス氏だったが、退屈な仕事に嫌気がさしていた。

 そこでアベンジャーズに入りたがっていたデップーだけをMCU軸に勧誘、FOX軸を壊す手伝いをさせようとして……みたいな流れ。

 全編通してサービスサービスゥ!!!! って色んな場所で戦闘にギャグにまた戦闘にと画面映えする描写が勢いよく繰り出される半面、各パートを結ぶための繋ぎの展開はけっこう雑に片づけられていた気がする。


 サプライズ要素の数々に関しては、アメコミ映画の外側のエピソードを知らなかったため、驚くべきであろう部分で驚けなかった。後から解説を読んでいかに感動的なシーンなのかを知った、みたいな箇所は多い。


 それでも何だかんだ盛り上がって、結局トータルで3回観た。



2024-10-21

20240713 【極爆】マッドマックス 怒りのデス・ロード

 SNSを利用して映画について情報収拾してると必ずといっていいほど目にする、「立川の爆音上映」。

 ずっと気になっていたけれど、立川という謎の土地への先入観があって行ったことがなかった。ものすごく辺鄙な所にあると思い込んでいた。

 フュリオサ公開でデス・ロードの再上映が決まり、晴れて爆音童貞を卒業してきた。


 ファーストインプレッションは「ドリンクでかくね?」。まるで珈琲屋OBだ。OBだと埼玉の人にしか伝わらないか…でもそれくらいドリンクの大きさが印象に残っている。


 爆音上映、大音量と重低音の厚みに驚いたのは最初のうちだけで、本編を楽しんでいるうちに重低音のドスドスいうのが却って気になってしまった。

 それだけ本編が面白かったと思えばいいか。


 立川からはその日のうちに無事に帰ってこれた。



20240706 長岡大花火 打ち上げ、開始でございます

 タイトルは花火大会だけれど、打ち上げを開始する“まで”の部分が全体の6割ほどを占めていて結構ボリュームがある。

 まずは長岡のなりたちを学ぶところから始まる。そこから?! と面食らったが以降で歴史と花火大会が密接に関わってくる部分があるため外せないみたいだ。

 戊辰戦争、米百俵の精神、山本五十六、空襲、シベリア抑留などを学び、震災の被害までを振り返る。

 その歴史を踏まえて、慰霊・鎮魂・平和への祈りといった側面をしっかり見せつつ、当日の花火大会を迎えるという構成。


 花火は終盤30分で画面に収まりきらないほどの迫力で披露された。

 音楽もあいまってとても感動的。


 待ちに待った花火大会パートが大変感動的でそこは良かったんだが、本編で気になる箇所もなくはなかった。

 全体的にテロップが下段に小さく表示されるのが見づらい。

 それとロシアでの花火大会が見るからにイメージ映像なのにことわり書きがなくて誤解を生みそうだった。

 中盤の劇の録画も長すぎると感じた。先の大戦の悲劇を繰り返さない~的なメッセージに重点が置かれた、学生さん達による劇のダイジェストが流れるのだが、おそらく全演目を公平に見せようとして切れなかった事情があったのだろう。変に長くて浮いてしまっていたように思う。


 花火大会の映像をただ流すだけではアッという間に終わってしまいそうだが、その土地ならではの要素を盛り込もうとするとノイズにねりかねない。

 地域おこし映画も難しいものなんだなと感じた。



2024-10-16

20240705 フェラーリ

  アダム・ドライバーがオールバックにすると雰囲気がだいぶ変わってて驚いた。この作品の予告は頻繁に目にしていたのに名前が出るまで気づかなかった。アダム・ドライバー凄い。私の顔認識能力がおかしいだけか。

 アダム・ドライバーが大変な目に遭う映画は大好きだけど(ちいかわ的な意味で)、本編の9割くらい人生の艱難辛苦で埋め尽くされた伝記映画を観るのは初めてで、かなり消耗した。


 会社は経営難。

 金銭面で厳しく意見してくるヨメ。

 愛人は隠し子の将来について答えを迫ってくる。

 レースで勝利を収めれば顧客獲得に繋がるはずと試験走行を重ねていた矢先、運転手が事故で死ぬ。

 後から入ってきた人気レーサーも、沿道の観衆を巻き込んでの大事故で死ぬ。……ここの場面はヘタなホラーより凄惨な「死」を見せるから、グロとか死体が苦手な人に向けて前もって注意喚起が必要なんじゃないかと思った。


 にっちもさっちも行かない状況に追い込まれ、それでも、主人公はその時その時で優先順位を決めたり答えを出していく。答えというか落としどころを探すような感じか。それで迎えた結末だって、一部の女性からしてみれば「男にとって都合良すぎで有り得ない」と爆発しかねないものではある。


 百点満点の正答や模範解答みたいなものは無いのだと分からせてくる、生々しい映画だった。




2024-10-15

20240531 マッドマックス:フュリオサ

 なんど予告を見てもピンと来なくて、でもアニャ・テイラー=ジョイが出るしイモータン・ジョーも登場するなら、という事で、ポイントを使って観た。

 もしかすると、クリヘム(というかクリヘム出演作)が自分には合わないのかもしれない。

 車や登場人物のデザインこそデス・ロードよりもおとなしめだが、オーストラリアの大地で繰り広げられるハードな物語なのは変わらず、乗り物アクションとしても物理的な危険を感じられて面白いは面白かった。
 しかし、繰り返し観たいというほど盛り上がりもしなかった。
 ディメンタスのキャラがどうにも引っ掛かってしまう。

 クリヘム演じるディメンタス将軍は、無理して狂人やってる感じ。デス・ロードのようなマッドに染まりきった世界に浸りたくて観に行った者としては、演者ご本人の人の良さそうな雰囲気も含めて何かあの無理してる感じが余計なものとして映った。
 あれがもし「他のヤカラより強いには違いないがイモータン・ジョーほどではない」と言いたくてのキャラづけだったのだとしても、本作にはハマれなかった。

 それと、ジャック(中盤から出てくるウォー・タンクの運転手。フュリオサがシタデル内で唯一信用した男性)のくだりがやたら長く感じられて、気分が中だるみしてしまった。

 最後のあのオチは好き。
 壊すよりも創ることのほうが、何であれ難しいなと思った。



2024-10-13

20240525② ソイレント・グリーン《デジタル・リマスター版》

 検索するとサジェストでネタバレ食らうので有名ってイメージで、作品名と肝要なポイントだけは知っていて、観る前は大変おどろおどろしい想像をしていた。
 劇中の未来では貴重になってしまった食べ物を、おじいちゃんがそれはそれは美味しそうにいただく姿がとっても可愛い映画だった。
 
 この感想をまとめているのは2024年の10月上旬で、ちょうどニュースではスイスの「サルコ」の使用が中止になったと報じられている。
 『ソイレント・グリーン』には、サルコよりも立派な装置が登場していた。
 至れり尽くせりの演出に包まれて死出の旅へと送り出してくれる場面はちょっと感動的ですらあった。
 少なくとも終活用マシンについては時代が追いついた。演出しだいでは装置を使うのもアリかな……なんて思いそうになる。

 この先やって来るかもしれない食料難の解決法に、原材料不明のあやしいシャキサクという選択肢が挙がることも、あのおじいちゃんが安らかに逝く場面を見た後では「絶対ない」と言い切る自信がなくなってくる。

 味が良ければいけそうな気がする。



20240525① 関心領域

  アウシュビッツ収容所のすぐそばに建っている家の話ですよと宣伝されていて、さぞかし暴力的な場面でも描かれるのかと思っていたら逆だった。

 素敵なおうちに住み続けるためなら“隣”で何が起きていようが関心を持たない主婦の話。意志が強い。

 現実を「見ない」話だから、ナチスがやってきた残酷な行為の数々も壁一枚はさんだ見せ方になっている。文字通り壁づたいの銃声と悲鳴だけ。間接的なのが意図したことなのは分かる。それがただひたすら続くので、とにかく尺が長い。

 奥さんにとっては、あの音が続くかぎり素敵な家に住んでいられる。この長い尺もとい長い日常がいつまでも続くのかーと、旦那さんと同じ鬱屈を感じさせられた。

 ナチスといえば普段『武器人間』とか『オーヴァーロード』みたいなものを好んで観る人間にとってはグロがないから物足りない。映画館で観たいものが偏っているため、不意打ちでアートを食らうと戸惑ってしまう。これも勉強だと思って最後までじっとしていた。


 つまらなくはないんだけど、この手の映画はテンションが上がらない。



 

20240426 ゴジラ×コング 新たなる帝国

 前作『ゴジラ×コング』はオープニングでもう「これはプロレスですよ」と言い切っていたので、ああこれは深く考えなくていいやつなんだと、ゆるく鑑賞できた。

 くせの強すぎるドハゴジにおいてゴジラはまるで宗教上の神のような扱いで、崇拝の対象として描かれる。

 かたや髑髏島出身のコングだって島の神様みたいな存在ではあるけれどアニミズムとかそっち寄りだし、小さな女の子と手話でコミュニケーションがとれる、強くてかっこいい、かつ人間くさいヒーローとして活躍している。

 タイプの違いすぎる2作の主人公をぶつけて何が起きてしまうのか? 半信半疑で観た前作は、「怪獣以外の脅威を出現させてゴジラとコングを共闘させる」という方法でそのあたりを解決していた。


 喧嘩する相手はゴジラとコング次第でいかようにも決められる下地がこのときできたのかもしれない。続編はさらにプロレス化が進行した。今度はタッグマッチだ。

 コングパートではコング自身のルーツを掘り下げながら次の対戦相手スカーキングと遭遇。ゴジラはゴジラで、でかい怪獣を見つけてはシメて回る。最後は2対2の試合にもつれ込む。

 プロレスするのは絵的に映えるから良いなあと思いつつ、やはりゴジラが強すぎるのか、コングに合ったレベルの敵モンスターをデザインするのが難しそうな印象を受けた。特に今回は敵も大猿で、性格面でコングと対比させていても見た目は被ってしまう。直立二足歩行する類人猿のケンカの延長にすぎない。スカーキングが街を破壊する前に決着がついてしまったのは、壊し方がコングとカブるからではないだろうか。

 モンスターのデザイン面でもっとブッ飛んだものが登場して欲しいと思ってしまった。


 大きくなったジアちゃんとスクリーンで再会できたのはすごく嬉しい。なんか親戚のオバチャンみたいな気分で喜んじゃった。



2024-10-06

20240419 陰陽師0

  新作映画が予告で気になったとしても、すぐに「観てみよう」とはなりにくい。まず監督と脚本が誰なのか調べて、その方が過去に手掛けたタイトルを参考に観るかどうか決めている。過去作をもとにすれば自分に合う・合わないの予測がつけやすいからだ。

 『K-20 怪人二十面相』は当時楽しんだ記憶がある。私はたぶん、分かりやすい話に派手なアクションで大勢の登場人物がワチャワチャしてる映像作品が好きなんだと思う。教養を求められる高級レストランと、何も考えずに食べられるファストフードと、褒めたり感謝を述べなければならない手料理があったら、ファストフードを選びがち。

 0も「分かりやすい話・派手な動き・登場人物がワチャワチャしてる」点で共通している。

 よって自分の中では、0に関してはあくまでK-20と同じカテゴリとして、旧作の野村萬斎主演の『陰陽師』とその続編とは別のベクトルで楽しく鑑賞した。

 他の映画なら『47RONIN』に近いと感じた。漫画ならフジリュー版封神演義みたいなノリというか。


 気になる点は晴明のキャラだろうか。

 映像が全体をとおして少年漫画っぽい作りで絵的に派手で見応えがあるのは確かなんだけど、主人公は冷めてて何考えてるのか分からないクール系(ナルトかサスケならサスケ的な?)に寄せられていたように見える。派手とクールのすり合わせが難しそうな印象を受けた。主役の俳優さん、どちらかと言えば信や杉元佐一の印象が強かったし……。

 性格の面で対称的な位置づけで博雅がいてバランスをとられてはいるが、晴明のクールさが鼻につかないでもない。

 博雅をああいうキャラにして、邦画について回る恋愛要素を主人公以外のキャラクターに振って回避しているのは、上手いやり方に見えた。






2024-10-04

20240412 オッペンハイマー

 思ったより渋いなあ、と思った。

 ノーラン監督に対して「作りたい映像に合わせてお話を作る(見た目の派手さ優先でお話は二の次)」みたいな勝手なイメージを抱いている。多分IMAXカメラを肩にかついだジャケット姿の写真に引っ張られてる(笑)。

 それでオッペンハイマーも、実際に落とす場面でも詳細にやるのかしら? なんて想像していた。去年の夏頃だとまだ日本での公開がハッキリしないままだったのもあって余計に、映像的に何か日本人が見たらマズイもんでもあるのか? と考えてしまった。

 観てみたら何てこたない伝記映画だった。

 広島と長崎に落とす場面は特にない。なかった事に不満もない。わざわざ凄惨な描写を見せずとも、トリニティ実験が成功した(=後戻りできなくなった)、歴史の転換点を置かれたってだけで充分だった。

 でも、アメリカでバービーとオッペンハイマーが大ヒットしたのが何故なのかは、観てもよく分からなかった。伝記映画と聞いて思い浮かべるものよりもエロシーンが多い印象はある。主人公に愛人が何人もいて劇中でヤッてる場面が何回も挟まるので。

 おっぱい目当ての人が映画館に押し寄せたりしたんだろうか。



 去年8月4日から5日にかけて広島の平和記念資料館を見に行った。この映画がキッカケで(観れるかどうか分からないうちから)いろいろ予習しておこうとなったからだ。

 式典の前日というタイミングだったゆえ目にしたものも色々あった。地元の学生らしき制服姿の子達が千羽鶴を抱えて納めに来ている様子だとか、会場設営やカメラの準備をするスタッフの人、あと見るからに要人って感じの外国人が側近を連れて歩いてるところなど。ドームを間近で撮影しているTVクルーもいた。

 オッペンハイマーの予習になったかといえば微妙だけど、その年の11月に観た『ゴジラ-1.0』をよりじっくり体感するのにちょうどよかった。


 鑑賞前に読んだものを以下に控えておく。本を読むのがめちゃくちゃ遅いから、この3冊に数カ月かかった。

「原爆ドーム 再生の軌跡」著:古川修文 南々社

「原爆を盗め! 史上最も恐ろしい爆弾はこうしてつくられた」著:スティーヴ・シャンキン 訳:梶山あゆみ 紀伊國屋書店

「ケミストリー世界史」著:大宮理 PHP文庫

 原爆ドーム~はあのドームが建てられることになった経緯から広島平和記念公園一帯のなりたちまでの一連の流れを知るのにとても良かった。文章も分かりやすい。

 オッペンハイマーの予習には原爆を盗め!~は合っていた。開発資料が流出した話をよく知らずに観たら映画の後半ワケわかんなかったと思う。

 ケミストリー世界史では兵器開発の歴史を大まかに知ることができた。ミリタリーの解説はあんまり細かいとシンドイので、かいつまんで軽めの説明でお願いします、という自分のような人にとってはとっつきやすい作り。マンハッタン計画の説明も少しある。劇中に登場したフェアゲルトウングスヴァッフェン2号ことV2ロケットもこの本で知った。

 あとはウィキペディアから「トリニティ実験」「ガンバレル型」「爆縮レンズ」「リチャード・P・ファインマン」のページは事前に読んでおいた。ボンゴ(笑)



2024-10-02

20240406 アイアンクロー

 後半のタイトル回収シーンが熱い映画だった。

 まず、とにかく見た目の説得力がハンパない。
 俳優がプロレスラーを演じるために役作りで屈強な肉体に鍛え上げた、と言われて想像する姿の数倍デカい人達が出てくる。王騎将軍のたくましい二の腕にウットリとかそういうレベルじゃない太さに、役作りのこだわりへの感嘆を通り越して「そこまでしなくても」と若干引いてしまった。
 序盤で兄弟が朝食をとる場面もなんか凄い事になってて、ダイニングテーブルに並べられたパンやらベーコンやら卵だのの量が給食一クラス分みたいなボリューム。

 そして言うこと為すことがいちいちアレな親父さんに、日本人の感覚からすると何か違和感のあるお母さん。
 このお母さんが平均的なのかどうか身近に敬虔なクリスチャンがいないから分からないけど、なんかこの家庭は父親だけの問題じゃなさそうだなあ、と思った。

 鑑賞前にウィキペディアでざっと家族構成だけはさらっていて、実際は6人兄弟のところを5人の設定にまとめられているのは把握していた(尺の都合だろうか?)。それでも、こう立て続けに亡くなる過程を見せられると、たしかに死にすぎな気がする。

 呪いじゃないなら何がおかしかったのか。
 多分だけど、弱りきった男にたいするフォローの仕方を家族の誰も知らなかったのが災いしたんじゃないだろうか。
 そもそも親父さんがいろんな意味で強いため、「弱る」という事がない。
 お母さんはとてもしっかりした人。いわゆる母性で包み込んだり寄り添ったりするタイプではない。あの親父さん相手ならそれで足りたのだと思う。ただ、兄弟たちがシンドイ時にも毅然とした態度をとったのが、結果裏目に出てしまったのかもしれない。
 親父にしごかれる地獄の日々を一緒に耐え抜いている兄弟の結束しか心のよりどころがない。
 屈強な肉体なのに、というか、屈強な肉体だから、崩れたときの落差をより強く感じる。

 彼らの中でも次男のケビンが最後まで生き残ったのは、優しい彼女とつきあえたのがやっぱり大きいと思う。

 オチは何か「男だって泣いていいんだ」って感じで普通。
 そんな普通のことが普通にできるようになるまでがケビンにとって物凄く長い道のりだった、という話。


 感動的なラストが映し出されるなか、そういえば子供の頃テレビで見た大仁田厚は泣いてたなあ、有刺鉄線デスマッチすごかったなあ、などと思い出してしまい、最後の最後で余韻に浸れなかった。