2025-12-31

20251229 ボディビルダー

 字幕監修 BIG HIDE とか観るしかないやろ、ってずっと楽しみにしてきた作品だ。
 鑑賞前はステロイドの恐ろしさでも題材にしているのかなと思っていた。じっさい副作用の描写もあるにはあったが、どちらかと言えばいわゆる弱者男性の哀れな姿を切り取る要素が強かった。

 日本でいうところのなろう小説で作家を目指す何かパッとしないオタクみたいな人が主人公、だがアメリカなので、作家ではなくボディビルダーとして「何者かになりたい」をやっている陰キャの物語。
 しかし(本人的には)頑張っているが筋肉はデカくならない。いつからか分からないけど薬物にも手を出した、それでも結果が出ない。当然のように女の子からもモテない。せっかく食事に誘われてもロクにエスコートもできず自分の趣味の話ばかり…。社会人としてあるまじき勤務態度も見られ、あまりの痛々しさにめまいがしそうな描写のオンパレードだった。観ながら何度も「うわぁ…」と思った。
 あげくの果てには憧れていた白人男性からのあの扱い。

 それでもホアキンジョーカーみたいに壊れきることもできず、夢に固執したまま映画は終わってしまう。すごいバッドエンドだった。

 でも無事に公開されてよかったと思う。アメリカ人って何だかんだ皆イケイケなイメージあったから、あの国にもああいう感じの人がいるっていうのが面白かった。



20251227② SWAN LAKE〜starring KizunaAI

 上映時間70分のうち、最初にイントロダクションでキズナアイの来歴とVtuberの特徴についての解説がある。バーチャル世界の人形浄瑠璃かガチャピンのようなものだと理解した。
 イントロダクションは体感10分弱くらいだったと思う。ファンの方ならこれまでの歴史、思い出を振り変えるのに良いのかもしれない。
 V全般に疎くキズナアイのことも名前しか知らなかった自分には、こういう説明があるのはとても助かった。
 

 逆に、バレエの白鳥の湖はいちおう知っている。舞台や映像上映で観たことがあり、話の筋や踊りの見どころ、代表的な曲がどの場面で使われているか、などは把握している。
 現実のステージとデジタル表現との違いというか、できること・できないこと、あるいはデジタルの強みみたいなものを考えながら鑑賞して感じたことをまとめておきたい。

 全体的には、初見でも分かりやすい見せ方になっていたと思う。

 まず動きについてはプロのバレリーナが演じており、振付も特に変わったヴァリエーションではなかった。エンドクレジットで「中の人」のお名前も確認できる。
 モーションキャプチャーで取り込まれているから骨組みの動きは正確だった。が、肩から指先までの美しさまでは再現しきれないのか違和感がある。生身の人間とデジタルの身体では筋肉の付き方が違うのだろう。あと手足がチュチュを突き破っているのが気になった。群舞も現状では厳しめだった。

 映像は王子の一人称視点が新鮮だった。
 鬱蒼とした森の中を進むとその先に小さな湖が見えて、といった目線の誘導があって没入感を高めようとしていた。お城でオディールから誘惑されている時にアングルに変化をつけて不穏な様子を表していたのも印象深い。

 目で楽しむ部分は、オタクの人たちが慣れ親しんでいるアニメ的な演出に落とし込んでいるところが多かった。
 それを踊りで表現するのがバレエだろう、と言われたらその通りなんだけど…現実の舞台は喋らないし、振付やマイムの意味だったり種々の「お約束」を予習してからでないと、どんな物語かも掴みづらい。バレエは映画やアニメみたいに気軽に観に行けないものって印象はある。
 キズナアイのファンは大半が男性みたいだし、白鳥観るのも初めてかもしれない。ワケわからんとなるよりはと考えてああなったのだろうと思う。

 さらに分かりやすさのためか進行役のナレーションまでいた。いま何をしているのかちゃんと説明がある。

 音楽も、オリジナルのインストゥルメンタルも加えて感情の揺れ動きを表していた。
 ただ、チャイコフスキーのスコアを使っている部分では、トゥシューズが床につく時のコンコンコンという音やダンサーの息遣いまで聞こえていた。おそらく公演かリハーサルなどをオーケストラピットの近くに設置したマイクで録音したものを使っているのだろう。
 特殊なデバイスで観客の手のひらに乗せるといった演出もするならあの音はなかったほうがよかったかもしれない。

 物語の改変は気にならなかった。
 白鳥の湖を選んだのも分かるような気がする。
 清楚系の儚い女の子が好きという目線と同時に、妖艶な女の誘惑に翻弄されたい欲もある。
 一目惚れした女の子に愛を誓っておきながら、易々とほかの女に乗り換えてしまう。
 オタクが特定の美少女キャラクターしか眼中にない様子と、王子がオデットに一目惚れして彼女一筋と舞い上がってる姿が、しっかり対応しているなと思えて面白かった。


20251227① ワールド・オブ・ハンス・ジマー:新次元へ

 元のスコア通りに演奏するのではなくコンサート向けに編曲がされている。
 未見の作品のものはコンサートとして楽しむことができた。  作品を観たことがあったり原曲を知っていたりすると、アレンジの仕方が気になってしまう。好き嫌いは別れるかもしれない。

 ステージ後方の壁はモニターになっていて、時どき作品の映像も流れたりする。ただし曲によってあったり無かったりで、映像がないやつは脳内で補完するしかなかった。

 編曲されたことで楽器の種類が多いのは見応えがある。でもそれぞれの楽器のスペシャリストを呼んでいるわけではなく、金管と笛を両方やるとか、キーボード兼アコーディオンといった兼任でまかなわれている。チェリストの方などは日本人というだけで三味線まで弾いてて大変そうだった。
 それだけ飽きさせないように色んな事をしていたと思う。

 しかし編曲を担当したのは一人だから、盛り盛りアレンジも二時間強もあると麻痺してしまった。聴いてて途中ちょっとダレてしまうところはあった。140分はやや長い。



20251226 プラハの春 不屈のラジオ報道

 60年代後半〜70年ぐらいのチェコスロヴァキアで暮らす若い兄弟が、当時の情勢に巻き込まれていく話。

 お兄ちゃんは国が左右どちらだろうが弟が助かればいいって感じで、凄い弟思いというか、ここぞというところで過保護を発揮することで話が動いてくのが面白かった。
 たまたまラジオ局の偉い人の目にとまって裏方として雇われることに…っていう、“友達に誘われてオーディションに行ったら自分だけ受かってしまった”みたいなことになっても、新しい環境で反体制のカリスマみたいな強い信念を抱いて働くジャーナリストたちと出会っても、素敵な女性と関わりを持つことになっても、結局なんだかんだ弟が勝っちゃう。

 お兄ちゃんのほうが印象に残ったが、話のメインはラジオ局の報道員だ。

 後半でワルシャワ条約機構が侵攻してくる。派手なドンパチはなくても絶望的な気持ちにさせられる絵づらだった。
 戦車と大量の兵士が近づいてくるなかラジオを繋ぎ続けて言葉を一つ一つ発していく様子は、まさに命懸けだった。



20251221 ペリリュー -楽園のゲルニカ-

 原作漫画まで読む余裕がなかった。
 何も知らないままなのもどうかと思い、手持ちの積み本からペリリュー戦について書かれている書籍で予習してから鑑賞にのぞんだ。

 主人公はお国のために働くということがどこかピンと来てないような、絵を描くのが好きな(物事を素直に見つめる視点の持ち主の)若者。
 先の大戦の映画といえば、バンザイ突撃みたいな「りっぱな死」か、現代人の目線で見て「ホラやっぱり戦うべきじゃなかったんだよ」って反省するか、このどちらかみたいなイメージだった。
 何にも染まってない子の視点を通して観るのは新鮮だった。ちょうどいいキャラクターだったと思う。

 登場する日本兵たちは日本からの補給が途絶えてしまった島で、米軍の基地から糧食などを盗みだしてそれを食べてなんとか生き延びてきた。飢えや病気で判断力を失っていない人だからこその、生きてどう敗戦を受けとめるかの葛藤が印象的だった。

 事前に読んだ本は「骨が語る兵士の最期」(筑摩選書)と、「日本軍と日本兵」(講談社現代新書)の二冊だけだが、引き続きいろいろ読んでみたいと思っている。



20251219 ロマンティック・キラー

 邦画の恋愛モノと不治の病で死んじゃうやつはスルーしている。泣けなかったら自分は共感能力のない異常者なんじゃないかと思えてきて劣等感をおぼえるからだ。
 泣かせる系か判断するのに参考にしているのが、「予告編で主要人物が走っているかどうか」。
 ロマンティック・キラーの予告編にもそれは入っている。が、恋愛エンタメあるあるとして盛り込まれているようだったので、恋愛しない話なら観てみようかと思った。

 主人公の前に妖精のような地球外知的生命体が現れ、お前が恋をしないせいで私の故郷のエネルギーが枯渇した、だから今すぐ恋をしろと迫る。
 TVゲームとチョコと愛猫がいれば満足な主人公は、その要求を当然拒否。
 しかし妖精は彼女をチョコが食べられない身体に変えた上に、猫の姿をクマムシに変えてしまう。
 どうしても元の怠惰な生活と可愛い猫を取り戻したい主人公は、妖精と勝負をすることになる。
 かくして「妖精のセッティングした出会いで一か月間恋に落ちなければ主人公の勝ち」という勝負が始まった。
 …のだが、恋に落ちたらチョコは不味いままだし猫の姿も戻してくれない、というメチャクチャな条件のため、始まりの時点で主人公が絶対勝つに決まっているのではという感じだった。

 で、この妖精の用意してくるイケメン達との出会いが、怒涛の展開というよりとにかく行き当たりばったりの勢いまかせ。「雑」としか言いようがないものだった。

 ただとにかく手数は多い。あまりにしょうもなさ過ぎるけれど半ば呆れつつ笑わされてしまう。

 1か所だけ、笑っていいのか戸惑う演出はあった。
 かつての月9ドラマで沢山の若い女性をメロメロにしてきたキムタク(Kokiのお父さん)の有名なセリフ、「ちょ待てよ」のパロディがあった。コント番組ではなく恋愛を題材にした映画でよく踏み込んでんなあと思った。
 これは私がアラフォーゆえ、好き嫌いに関わらず「ジャニーズ(と界隈のファン)は怒らせてはいけない」みたいな暗黙のルールがあると認識しながらテレビを見てきたからこその戸惑いだと思う。

 考えてみたら民放のそういう恋愛ドラマといい、今でもたまにある邦画に無理やり恋愛要素を盛り込まれるアレといい、けっこう上のバブル世代って自由恋愛が大好きだし自由恋愛や異性への憧れを消費の起爆剤(?)につなげてきたイメージがたしかにある。干物女が出てくるドラマはあったがそれだって結局恋愛させられてたし。

 現実でバブル世代はどんどん退場していってるが、映画本編では主人公とお友達のサキちゃん以外のモブは相変わらずゴリゴリの恋愛脳でイケメンにキャーキャー言ってるし、イケメン以外の男子は草食どころか非モテの記号で彩られている。

 干物を無理やり繁殖させなくても「人としてちゃんとしてればいいじゃん」という話になっているのは良いなと思ったが、ああいう主人公はずっと少数派のままなのかもしれない。



20251214 ペンギン・レッスン

 英語教師をやっている偏屈な中年男性がとある私立校に雇われて働き始めたが、休暇中に訪れた海で一羽のペンギン(♂)に懐かれてしまい、寮で内緒で飼うハメになる。

 ペンギンが学校にやってきて大騒動を巻き起こす!といった類いのものではなく、可愛い動物がそばにいるとなんだかんだ癒されるよね、くらいの、ペンギンを前にした人達の心がほっこりしていくイイ話だった。

 実際の出来事をもとにした映画らしく国に反抗的な態度をとった人が当局に連行されたりクーデターの話が出てきたりといった要素は描かれるものの、全体的にはマイルドな印象を受けた。



20251212 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破(ver.2.22)

 劇場公開当時のものではなくソフトに収録されている、シンジ達が駅の改札で加持に声をかけられる場面や、使徒が来ていないときに本部で定期チェックする穏やか~な日常などが追加されたバージョンが上映された。
 前説?は、アスカ役の宮村優子氏。苗字が惣流から式波に変わっていたことなどに触れられていた。

 テレビ放映をリアタイしていた小学生時代から数えたらかれこれ30年。シンエヴァで結末を見届けてからだってはや数年が経ち、さすがに同じ気持ちで観られなくなったのが実感できた。いい意味での違和感が沢山あった。
 とくに「大人」というものの理解が大きく変わった気がする。

 子どもの頃に目にしたコンテンツには思い出補正が掛かってしまうというか、どうしても過去の記憶が基準になるものだと思う。子供時分にはミサトも加持も、ゲンドウだって、大人をやっているように見えていた。自分が年とったら「全然そんな事ねーな」と。
 いやみんな大人は大人なんだけれど、ミサトは何か年上のお姉さんを演じて気を張っているように見えるし、加持が意外と元カノとヨリを戻そうと頑張っている健気な人に見えてくるし、ゲンドウが何を発言してもコイツに言われたくねえなと思ってしまう。
 内容よりも、長く見てきたジャンルだからこそ感じられる変化に気づく鑑賞体験になった。

 本編については初見の驚きがないぶん冷静に見ているから、テレビシリーズからの再構築とはいえ登場する使徒が限られることから来る物足りなさを感じた。加えて破からはマリが本格的に絡んでくるので、アスカの出番はこの時点でだいぶ減っていたのに気づかされる。エヴァのキャラクターではアスカが好きなのでちょっとさみしい。

 長い目で見れば新劇場版があったおかげで、パイロット達はエヴァの呪縛から解放された(旧劇と比べたらはるかに幸せな結末を迎えた)。
 マリはその立役者でもあるため、アスカファンとしては複雑だ。



20251129② WEAPONS/ウェポンズ

 ちいさな街の小学校で、一クラス分の生徒たちが(一名を除いて)ポスターや予告映像にも使われているナルト走りみたいなポーズで夜中に突然家から飛び出し、そのままブーーーンと走り去りいなくなってしまう事件が発生。
 担任の先生、保護者、校長先生、地元の警察官とその警察官に捕まった泥棒などの視点から、「あの失踪事件で何が起きていたのか」がじょじょに明かされる。

 前半はそれぞれの登場人物ごとにパートが区切られていたのだが、そこがけっこう長くて退屈だった。担任の先生の性格もあまり印象がよくなかったので前半は我慢を強いられていた。
 後半でからくりが分かってからはものすごい勢いで進むのだけど、無事だった男の子もなかなか酷い目にあっていて、それを担任の先生にも話すことができないという状況は可哀想だなと思った。

 終盤は勢いに押されて普通に笑ってしまった。
 でも一回観れば充分かな。



20251129① (Blu-ray上映)ザ・セル

 ターセム監督×石岡瑛子さんが衣装を手掛ける作品で最初に観たのは『ザ・セル』のほうだった。2001年の公開当時まだ高校生でミニシアター系の作品にもほとんど触れたことがなかったところへこれを観てしまったものだから、ものすごい衝撃を受けた。
 大きなスクリーンで再び観ることができてとても嬉しかった。

 精神疾患により意思疎通が図れなくなってしまった患者にたいして、特殊な装置を用いて患者の意識そのものへアクセスしてカウンセリングと治療を試みるセラピストの女性が登場する。
 この研究施設に刑事が訪れ、捜査中の誘拐事件の犯人が何らかの発作でブッ倒れたから人質の居場所を聞き出してくれないかと相談される。人の命がかかっているならと(渋々)引き受けたセラピストだったが、犯人の精神にアクセスしてみたらあまりにも異常な心象風景を見せられて恐ろしい目にあう、という話。

 精神世界を絵的に見せているから何でもアリなところが強い。
 ドレスにしろ小道具にしろ、ほんの数秒しか見られなかったり、画面に入りきらないところまで作り込まれているはずなのに全部は見られない。そういう作り方ができるところに「贅沢だなあ」とあらためて思った。

 このリバイバル上映の前に落下の王国を観たばかりで、まとめて観たことで、何故あっちがヒットしたのか何となく理由のようなものが分かった気がする。

 ザ・セルの精神世界やスターガーの異常さの見せ方はたしかに凄いのだけれど、それ以外の現実パートは普通。内面に蓋をしている人たちの話だから普段の振るまいが淡々としているのはまあそうなんだけど、犬が可愛いこと以外は印象に残りにくい。

 落下~は特殊な装置など用いなくてもイマジネーションの世界を共有している点だったり、現実…病院内での出来事がひと山越えて感動の結末を迎え、物語で人が変わっていくことの大切さを噛みしめられるところが、幅広い人に受けてるのかなと思う。

 映画としてどちらが優れているかみたいな話になったら落下~のほうになるんだろうけど、個人的には、描写のキツさと普通じゃない人が救われている部分から、ザ・セルのほうが好きだったりする。



20251126 金髪

 SNSで脚本を絶賛している人を見かけて気になったので観ることにした。

 主人公はX(旧Twitter)らしき所で裏垢をつくり日々の仕事や世間にたいする愚痴を吐いている中学校教諭・市川。ダサイ大人になんかなりたくねえと言っていた当の本人が実はとっくにそうなっていた、という笑い話だ。

 主演はザ・清潔感のあるイケメンって感じの俳優さんで、こんな人が担任だったらさぞかし学校生活も楽しかろうって印象を受ける。しかし市川先生、口を開くとロクに自分の考えも述べることができないダサイ姿が露呈する。
 「オレはまだいける」という自意識が拭えない市川先生のどうしようもなさを見事に演じられていて、あまりの落差に笑ってしまった。この人は清潔感しか取り柄がないのでは、とさえ思わされた。

 勤務先の学校で起きたのは、これまたSNSで議論が紛糾する話題でおなじみ、校則にまつわること。
 生まれつき髪色が明るい女子生徒が、教師から黒く染めるように諭され、学校に来なくなった。
 それを知った同学年の別の生徒が「なぜ校則では髪は黒のみと定められているのか?」と納得がいかなかったため、クラスメイトを誘って抗議の金髪デモを始めた。この金髪に染めた生徒たちのクラスを受け持っているのが市川先生だった。

 中学校で起きたこの騒動は報道されSNSでも注目を浴び、どんどんコトが大きくなっていく。
 広まりかたも終息のしかたも、何というかインターネットの時代らしいなあと感じるものだった。

 SNSに限らず、学校も、学校以外の世間の目も、「ほかと違うもの」へのアタリは強いと思う。事情も知らずに校門の前で演説していたオジサンとか、撮れ高さえあればいいと学校へ押しかけるマスコミの描写があるように、残念ながら偏見はなくならないのが現実だろう。

 未成年である生徒が大人から守ってもらうには、髪色は黒くしたほうがまだマシなんじゃないだろうか。
 校則を守るのも守らないのも、当事者にとって大変なのは変わらない。
 髪色の明るい女子生徒からすれば持って生まれた身体的特徴も本人の意思も否定されたように感じただろうし、彼女の保護者からしてみれば「うちの子を理解してくれない」と学校組織に不信感を持っても致し方ない。
 それでも、学校の外の様子まで俯瞰で見ると、生まれつきの姿のままでは守れるものも守れない時だってあるというか。

 市川先生は(目的が保身のためこれまたダサイのだが)遅まきながら生徒のために解決の道を模索したし、金髪に染めてみた生徒たちは各人で思うところがあったみたいで、その後の顛末が印象的だった。

 なにかを変えようとするキッカケとして金髪に染めるのは突飛だったが、まずは行動してみて何が起きるのか目にしてから考えてみるのも、時にはアリなのかもしれないと思った。



20251122 落下の王国 4Kデジタルリマスター版

 入院中の女の子と青年が共有していた物語の場面全部でポスター作れるんじゃないかってくらいきれいな画面の連続で目にも満足できて、一人のスタントマンを通して描かれた「物語を紡ぐこととそれを受けとめてくれる観客の存在」の何か有難みみたいなものにもグッとくるお話だった。

 リバイバル上映が増えて助かるものの、だいたい2週間限定という企画が多くて、タイミングを見計らうのに難儀している。土日を狙うとどうしても混んでしまう。
 それで慌てて観に行ったら意外と長くやっている(これを書いてる12/31現在も引続き上映中)。
 分からないもんだなと思った。



2025-12-16

20251121 果てしなきスカーレット

 観に行った理由は「SNSで酷評されていたから」だ。
 あまりに荒れていたのでレビューがあてにならなくて、これはもう自分の目で確かめなければならないと思った。

 予告編の時点ではあまり良いイメージは持っていなかった。
 しかし、鑑賞してみると、予告から想像したものとは真逆の印象を受けた。
 宣伝がことごとく裏目に出た感がある。

 まず、予告から感じたことのひとつに「顔と声が合っていない」というのがある。
 これについてはネット記事からプレスコ方式なのを把握したうえで観たのもあるが、感想は逆になった。「声に顔が合っていない」。
 役者さんの演技は真に迫るものですごく良かった。ただ顔はアニメのままなのが観ていて最後までしっくりこなかった。役者の芝居と、キャラのデザインや表情とのすり合わせが、うまくいっていないように感じた。
 それから坊主刈りの青年。予告から何となく自衛隊員なのかと思いこんでしまい、「戦わないで話し合おう」みたいな台詞に違和感をおぼえていた。
 この彼は看護師でありそもそも兵士じゃなかった。
 公開直前には渋谷で二人が踊る場面もお披露目された。時代背景どうなってんだと混乱してしまった。
 あの渋谷の風景は、順を追って観ていけば理屈のとおったシーンなのが分かる。

 細田守監督作で観たことあるのだと『未来のミライ』が好きだ。
 妹が生まれたことで「これまでの自分が唐突に終わってしまった」男の子くんちゃんが、目の前に現れた未知なる存在を自分の中にも形づくっていく話だったと受けとめている。
 普通の映画なら、犯人を捕まえる・エイリアンを返り討ちにする・恋を成就させる・全国大会を目指すなど、何かしらゴールが定められていることが多いものだと思う。その過程でスキルを身に付けたり勇気を出して一歩踏み出す姿と絵的な山場が重なって盛り上がったり。
 けれど、くんちゃんみたいに自分を変えなければならなくなる点に絞って物語を綴るのって、変化が細かいというか、絵的に地味だなとも感じてしまう。

 スカーレットも、特殊な空間に放り込まれて「父を殺した男への憎しみを募らせてきた、自分を終わらせる」ことになる。
 さまざまな時代の争いごとに巻き込まれて命を落とした人たち(の魂)が集まった場所で、よその国の文化に触れて、おいしいもん食べて、体を労わることを覚える。対立していた者の話に耳を傾けてみたりもする。
 争いを忘れ街の真ん中で楽しく踊る世界だってあるかもしれない、現実を変えられるかもしれない、と思いたくなるような、不思議な出来事まで体験してしまう。

 あんまりスピっぽいことを言いたくないけれど、亡き国王がスカーレットをあの場所に連れてきたんじゃないか、彼女に必要なものが集まるように願ったんじゃないか。そう思いたくなるお話だった。

 しかし、物語の「いいな」と思える部分と、動画のこだわりとは、噛み合っているようには見えなかった。
 動いているシーンだって格好いい。格闘戦では腰の入ったパンチが出るし、オバチャンの踊る姿も柔らかさがあって素敵だった。
 ただパートごとのバラつきも大きいように見えた。比重を置いたところは細かく作り込まれているが、スカスカに感じるところもあったり。

 こういうタイプの映画はオタク受けがすこぶる悪いみたいだから、今後はもう「これまでの自分が終わる」話は作られなくなるのかもしれない。
 こっちの世界があの死者の国そのままになっていって、皮肉な形で見直される日が来ないといいなと思う。


 SNSでの映画の炎上は、鑑賞前に抱いていたイメージと実際の内容とが大きく異なっていたうえに内容も尖ってる(=大衆ウケしない)ときに起きてしまうことが多い気がする。
 とくにX(旧Twitter)は、いちど荒れると実際の内容より悪く書かれる傾向があると思う。過去に見た事のある別作品の炎上では、「これエアプじゃね?」と疑いたくなるようなコメントも見受けられた。


 いつか、「観てみたい」と思った時が来たら、いったん炎上のことは忘れて観てみるのもいいんじゃないだろうか。
 この映画はそういう、時を超えるタイプの作品だと思っている。



2025-12-14

20251115 (字)プレデター:バッドランド

 音声と字幕の表示が独特な作品なので、見落としがなかったどうかもう一度だけ観た。
 そこまで好みじゃなかったがシリーズは続いてほしい。投げ銭の意識が働いての3回目だったりもする。

 ふり返ってみると、バッドランドは女性の存在感が強かった。
 ティアは女性型アンドロイドで共感能力が高く、テッサは戦闘特化だが同じく女性型で男性アンドロイドを率いている。
 バドも字幕でしっかりSheやherとありメスなのが分かる。
 ゲンナ星でデクとティアが出会ったのは、怪鳥(名前忘れた)の巣だった。もしかするとあの巣を守っていたのも母鳥だったかもしれない。
 針を飛ばすパイナップル(名前忘れた)に刺されたデクの治療に使われたのも、パンジーみたいな可愛らしいお花。
 ほかにもいるが話の筋にかかわるので伏せておく。
 あのウナギみたいなやつも、案外あれで女の子だったのではないだろうか。

 素顔で戦うプレデターと現地調達のサバイバル感は面白かったが物足りなかった。

 プレデターといえばやっぱりマスクを着けた顔と、ショルダープラズマキャノンのイメージ。
 「らしさ」はテクノロジーのほうで担っている部分も大きいのだなとあらためて思った。

 もし続編があるのだとしたら、今度はデクがフル装備で戦う姿も見てみたい。


20251114 天使のたまご 4Kリマスター版

 YoutubeやInstagramで外国人がジャパニーズクエリエイターがなんたらと画像を無断転載していて、部分的に目にしたことのある作品だった。同じケースだとヴァンパイアハンターDもそれで知った。
 映画館で公式のものをちゃんと観ることができてよかった。

 自分の観た回だけなのか知らないが音量がえらい大きくて、「うるさいな」と感じたほど。おかげで寝ずに済んだ。

 内容についてはよく考えないまま絵だけ観ていた。鑑賞後も考察などはとくに調べていない。

 少女の抱えていた“たまご”は空想に耽っているだけでは孵らないもので、逃げ回っていてもやがて男につかまり、心をゆるした途端に「女」にされて、夢みたいな願望は壊されて社会の歯車に組み込まれてしまうものなんだよ……的な?

 世知辛い話なのかなと思った。


20251108 (吹)プレデター:バッドランド

 ティアとテッサの演じ分けが気になって吹替版も観てみた。
 公開前の宣伝ではティア役の声優しか発表されていなかった。デクのほうは観てのお楽しみなのか? と思いきや、デクには吹替え声優がいなかった。字幕版と同じくヤウージャ語に日本語字幕がついている。
 見慣れないスタイルで物珍さを感じながらの鑑賞になった。

 吹替版は土曜の昼間に観に行った。座席には小学生もちらほら。字幕は読めたんだろうか。
 とは言っても、内容はほとんどテレビゲームに近い。しかも死にゲー。ゲンナ星の生物もモンハンみたいな見た目だし。話も難しくないし、雰囲気で分かるかなと思った。

 プレデターシリーズは人類が地球外知的生命体と戦う話だ。フィクション界における巨大ブラック企業のひとつウェイランド・ユタニ社のアンドロイドが登場するのであれば、ティアやテッサを地球人の延長と見なしてもいいのだろう。地球から来た人と言葉の通じないプレデターの図式は守られている。
 キッズから見ればなおさら、字幕でよう分からん言葉を喋る宇宙人なのだから、プレデターシリーズの雰囲気はむしろ小学生のほうが強く感じていたりするのかもしれない。

 日本のレーティングはG(全年齢)で、血は赤くない。というか、なんかカラフルな体液が流れ出す感じ。しかもその流血も最小限の描写にとどまっている。
 個人的にはもうちょっとグロと残忍さが欲しかった。

 デク君も返り血くらいで興奮してないでもっと皮とか剥いでほしい。



20251107 (字)プレデター:バッドランド

 エンドロールでキャストのクレジットにまずアンドロイドのティア役エル・ファニングの名前が出てきた。次いでプレデター・デクを演じたディミトリアス・シュスター・コローマタンギ。プレデター主人公なのにそこは後でいいんかい、と思った。

 劇中は劇中で、ゲンナ星の獣を狩るのに、デクだけでなくティア、バドが活躍する場面もたびたび描かれていた。
 デクは経験が浅い若いプレデターで、冒頭では兄クウェイから「空間を使え」と指導されている。そこがだんだんできるようになっていく過程なのだが、初見で倒せない→ティアにアドバイスされたりバドが勝手に手を出す→デクは死なずに済む→対処法を見出してモンスターを倒す、が繰り返される。
 視点が3つもあるため肝心のデクは前に出づらく、強いんだか弱いんだかいまいち分かりづらいまま話が進んでいるように感じた。

 デクはヤウージャの教義をかたく守っていて非常にまじめなキャラクターだ。誰の助けも借りず一人で強くなりたかっただろう(観客である私もそれを期待していた)。
 しかしバッドランドではそれが通用せず、ソロ狩りを強行すればあっさり命を落としていた可能性が高い。
 デクは経験不足だっただけで、けして弱くはないと思う。
 が、ティアの言うとおり「助けられた命」でもある。

 なんだかんだ彼は負けず嫌いというか、つよがりな性格なのだろう。
 半身しかないティアのことは「道具としてなら」という口実がないと助けづらかった。
 誰よりもたくさん狩るアルファになるというのも、たとえ話に出されたオオカミのリーダーよりも自分のほうが強いのだと言いたいがためにムキになっているようにも見えた。

 小柄だから弱いというより、情に厚い不良みたいな人なのかもしれない。



20251102 フランケンシュタイン

 ギレルモ・デル・トロ監督のやつ。
 期間限定で映画館で上映されることになったので観てきた。ネットフリックス利用してないからこういうの助かる。

 画面が大きいことで衣装、建物、セットの見ごたえは充分。ドレスがとにかく綺麗だったがミア・ゴスが服に負けない存在感でかなり印象に残った。賢くて芯が通っていて人を見る目があってしかも優しい。でもそのキャラをことさら持ち上げる雰囲気でもなく、女性の出来のよさがイヤらしさに見えないのが良かった。

 モンスターはこわいというより可哀想な話で、ヴィクター・フランケンシュタイン博士を見ながらエヴァンゲリオンの碇ゲンドウを思いだしていた。エヴァも新劇場版でやっと、やっと父親が子供のほうに顔を向けようとしていたっけ(ちゃんとできていたかは分からん)。
 見た目もパワーも怪物で人々から恐れられるような存在だけど、どんな奴も出会いしだいでは真人間になれるかもしれない、と思わせられた。

 しかし一宿一飯の恩義を見せられても、これでイイ奴とはなかなか受けとりづらかった。過去のエピソードでさんざん大暴れしていて被害も大きいので……

 朝日を浴びるラストにはちょっと感動した。


2025-12-07

20251101 火の華

 鑑賞前は花火作りにフォーカスした人のあたたかさ~的な話なのかと思っていた。

 観てみたら思ったよりミリタリー要素を強く感じた。


 主人公は国連の平和維持活動で海外に派遣されていた自衛隊員の島田という男性。現地で起きた出来事がきっかけで島田は隊を辞め、いちおう社会復帰は果たしたものの時折“あの日”のフラッシュバックに苛まれている。

 ある日島田は職場で暴力沙汰を起こし、仕事を続けることができなくなってしまう。しかしこれまでの勤務態度を理由に社長が厚意で別の会社を紹介してくれた。それが、舞台となる花火工場。よりにもよってトラウマと直結している「火薬を扱う仕事」だった。

 花火作りを通して島田は新しい人生を歩み出すのだが…という話。


 実際に報道されたニュースから着想を得たとのことだが、だいぶフィクション寄りの話ではないかと思う。

 花火工場は新潟県にある設定で、長岡の花火大会より後というタイミングで島田は花火工場に入社する。長岡の花火大会についてはたまたま『長岡大花火 打ち上げ、開始でございます』というドキュメンタリーで観たことがあった。スクリーンで見てもとてつもない迫力を感じた。

 あのデカイ花火を打ち上げるなら、島田には可哀想だがPTSDで錯乱するには非常に適していた土地だという納得感があった(ヒドイ)。


 自衛隊まわりの設定はどこまでリアルなのか知らない。基地も実際のものとはだいぶ異なるのだろう。さすがに現実の自衛隊がそんな簡単に銃器を横流ししたり要人を誘拐されたりはしないだろう、と思った。

 基地の警備がザルなところや公共放送ジャックも含め、並行宇宙の日本だと思って観るぐらいでちょうどいいかもしれない。


 なので「そうはならんやろ」と感じる部分はたしかにある。

 けれども、作品の規模でギリギリ「本当にやれそうな空気」というか、違和感を持たずに観られる画づくりがされていた。とくに後半はずっと緊張しっぱなしだった。


 レーティングはG(全年齢)だし中学生でも理解できる英語しか出てこないので、ガンアクションも花火も平和について考えるのもいっぺんにやりたい人にはいいのかも。



20251012 (吹)トロン:アレス

 吹替版のアレスはプログラムに音声ソフトのイイ声のっけました的な雰囲気があった。

 アレス、というよりプログラムが喋るとき抑揚をつけて話すのか疑問だったけれど、用途によるんだろうか。
 ディリンジャーの孫なら、効率を求めて「声のトーンなんかいらない」と答えそうな気がする。転送前のアレスと会話する際もチャットで済ませていたくらいだし。
 それと、学習を早めるために罰も与えていそうだなと思った。現実世界に出力されたアレスやアテナは、体が限界を迎えて崩壊するときに絶叫していて、あきらかに苦痛を感じているようだった。

 中盤の、アレスが生まれて初めて嘘をつく場面が好きだ。
 表情ひとつ変えずに、またほとんど棒読みで、あまりにもヘタな嘘をつく。当人からすれば冷や汗ものなんだろうけど(汗かかない)、それまでのスマートな会話をしていた口からしょうもないことを口走るチグハグさが微笑ましかった。

 長男アレスも長女アテナも創造主に忠実に従っていたが、今後もし新しいプログラムが登場することになったら、人間をあざむいたり人間を従えるプログラムなんかも出てきたりするんだろうか。そう思ったら、まだまだ息の長いシリーズになりそうな気がした。

 2度目の鑑賞にもなると、チェイスシーンの繰り返しにやや飽きてしまった。
 乗り物やサイズ感は違うので話が進むにつれて迫力は増すが、いずれも夜とか暗い背景に赤みの強いネオンカラーが走るのは同じで、これが2D版で観ると変化に乏しいように感じられた。

 私も3Dで観ればよかった。



20251010 (字)トロン:アレス

 2Dで字幕版と吹替版をそれぞれ1回ずつ鑑賞した。
 3Dや4Dで観た方々の感想を読むと、これは3D以上で観るべき作品だったなと思う。

 過去についてはオープニングで簡単に触れているので無印とレガシーはおさらいしなくても大丈夫な作りにはなっていた。
 しかし鑑賞後にまず思ったのは「無印は前以て観とけばよかった」だったりする。

 話のほうは、無印に登場したゲームがリメイクされて話題を集めている現代のアメリカという設定。リメイク版の開発に携わったキム姉妹が登場するところから始まる。
 逆に、レガシーで繰り広げられた物語はほとんど語られていないように感じた。話は繋がっているのであの世界にも当時を知る人はいたに違いないが、いかんせん登場しないのでどうなったか判然としない。
 きっとキム姉妹は何も知らされずに働いていて、レガシーの頃に開発されたデータについては知る由もなかったのだ、と、無理やり受けとめるしかなかった。

 この映画も過去作と同じように生身の人間が電脳空間に転送されてしまい、『はたらく細胞』のごとく擬人化されたプログラムと戦ったり仲良くなったりして、どうにかこうにか基底現実に生還するのは変わらない。
 新作は、そこに、プログラムであるアレスの視点が加わっている。
 アレスで描いていることは生みの親からの自立(創造主に反抗すること?)で、ありきたりだけれど感情移入しやすくなっていた。
 アレス君のプログラムらしからぬ言動も面白かったし、ジャレッド・レトの風貌も相まってユニークに感じられた。

 映像はそこまで新鮮には感じられなかった。赤やオレンジ色はレガシーの登場キャラクターにもいたし。
 どちらかといえば、プログラム内の景色よりも、あの何でも作れる3Dプリンタのほうが印象に残った。
 光線の当たった箇所がこんもりと盛り上がって黒い山のようなものができあがる。この黒い部分は全てサポート材で、バラバラと崩れ落ちると中から戦車やらAI兵士やらが出てくる。何が現れるか分からないところは緊張感があった。

 何でも作れる3Dプリンタと、劇中でいうところの「コード」がヒトの手元に揃うというのは、やろうと思えば人間が交尾なしに生命を創れるようになることを意味するだろう。
 ディリンジャーの孫がどこまで考えてあのような行動に走ったのか分からないが、彼は、AIが自我に目覚めるのよりも危ないことを始めてしまった気がする。
 もし続編があるとして、あれだとトロンシリーズはただの戦争の映画になってしまわないだろうか。

 最後にアレスは、自らの存在は人類と出会うにはまだ早いと言い残し姿を消してしまった。
 本当にその通りだなと思う。



20251004 ワン・バトル・アフター・アナザー

 活動家の女性に誘われてアメリカで移民を救う運動に参加していた主人公が、女性が警察に捕まったことで生まれたばかりの赤ん坊を連れて逃亡しなければならなくなり…という話。
 イマドキの何か保守層の白人男性を小ばかにするような雰囲気があったように思う。

 女性活動家の振るまいは強くて自由な女というより身勝手に見えてしまい、格好いいとは受けとりづらかった。
 ディカプリオ演じるお父さんも、(経緯が経緯とはいえ)年頃の娘にガラケーしか持たせないし、いろいろと口うるさい。その割にはお父さん自身はユルみきっていて暗号忘れちゃってたりで、面白おかしく描かれていたが「娘守れてねーじゃん」とツッコみたくなった。
 娘よくグレなかったなと思う。

 下品なところも含めいろいろ笑って観ることができて楽しかった。
 中盤のセンセイも好き。