2025-04-30

20250412① ゲッベルス ヒトラーをプロデュースした男

  視力が悪すぎて字幕がほとんど読めず、パンフレットでようやく内容を把握できた。


 ヒトラーにたいして何かキレ散らかしてるイメージがあるのは、おそらく「総統閣下シリーズ」のせいだ。

 『ゲッベルス』では主人公ゲッベルスのほうが、会議中にせよ演説の練習や本番にせよ、ヒートアップしてる場面が非常に多く描かれていた。

 むしろヒトラー役の人のほうが抑えめの演技をしている。それだけで意外なものを見たように感じるのだから、いかにゲッベルスの演出が後世まで影響を及ぼしているのかって話なんだろう。


 こういうの観に行く人なら大丈夫なんだろうけど、史実に基づくと謳った作品なので、銃殺、絞首、死体の山がたくさん出てくる。『関心領域』にはなかったものが全部映る。

 グロいの苦手な人はそのあたり覚悟して観たほうがいいと思う。



20250406 ANDROGYNOS - THE FINAL WAR - 特別上映会 DAY2 - under the Red Moon -

 1日目とは別の映画館にて。

 音響に力を入れたシアターで単純に音がデカくて良かった。


 元ピエラーだったら2日目のほうが感動するのかしら? と思ったが、自分のテンションにはそれほど変化を感じなかった。

 PIERROTに限らず色々なバンドの復活やら再結成やらのニュースを目にしていたから驚きが分散したのはあるかもしれない。


 むしろ、一般的な会社員の目線で、いちど辞めた職場でまた働く人の感覚について思いを馳せてしまう。

 一般企業に勤めていれば出戻りする勤め人を見ることもあるにはあるが、どちらかといえば珍しいケースであって、だいたいの人は「もう戻らねえからな」って気持ちで辞めていく。し、辞められた会社もどうにかして替わりを立ててなんとかする。


 バンドの場合そう簡単にいかないのは何となく分かる。駅伝のチームやアイドルグループ等のような新たなメンバー加入による新陳代謝を前提とした集団ってわけでもなし。

 それに、あくまでお客さん目線では、欠けてない頃のフォスだけがフォスであって後から他の子のパーツを補ったのはもうフォスじゃないってなるだろう(あの漫画まだ読んでない)。


 バンドだと「替えがきくかどうか」の捉えかたに、当人たち以外、つまり受け手の目線が加わるところがかなり大きく影響しそう。

 望まれていなければやらなかった可能性もあるのか? と、何となく思った。最終的には当事者次第なんだろうけど。


 私は多感な思春期の頃にピエラーをやってはいたけれど、いわゆる「迷える子羊」ではなかった。十代の頃からそうだったし、今だって人からそのように決めつけられたら嫌だ。

 大変な思いは特にしてこなかったから、彼らにたいして「救われた」みたいな思いはない。


 ただ、当時、つらい日々のなかで彼らを心の支えにして生きてきた人達がいるというのも理解している。

 あの解散のしかたでは納得できていない人だってそりゃいるだろう。


 “今の”PIERROT、というには演奏する曲が過去のものしかないので何とも言いにくいんだけど。

 かといって、20年ちかく経った今聴いていても“昔の”曲と言うのは何か変な気がする。

 MCで「やめさせてもらえない」というようなことを仰っていたが、ではPIERROTの終わりって何だろう? と考えてみても、それもちょっと分からない。


 いつまで経っても特異なバンドだなあと思う。



20250405 ANDROGYNOS - THE FINAL WAR - 特別上映会 DAY1 - under the Blue Moon -

  映画館のサイトで予約したものではなく、チケット会社のサイトからエントリー・当選した上映会の会場が映画館だった、というもの。

 厳密にはカウントすべきではないのかもしれない。が、いちおう映画館で見たものなので記録しておく。

 ちなみに全席指定で席は選べなかった。お客はみんな真ん中あたりの観やすい列に寄せられていた。

 告知では声出し・ヘドバンOKとの触れ込みではあったものの、自分が行った会場ではヘドバンしてる人は確認できず。全席指定で前後左右に人がいる状態で髪を振り乱すのは難しいだろう。ヘドバンOKにするなら自由席でもよかったと思う。


 昔風に言うと当方元ピエラー、リズム隊が好きでタカーだった。

 PIERROTがメジャーデビューしたての頃に中学の同級生から「クリア・スカイ」を勧められて聴き始めたのが最初なので、古参というわけでもなく、そもそもバンギャと言えるほどV系バンドのこともよく知らない。

 しかも途中で離脱している。3枚目のアルバムが出た後ぐらいの頃から、個人的な問題(頭に不具合が出た)が起きていたので、楽曲やライヴを楽しむ余裕がなくなってしまった。

 離れているあいだに解散しちゃったのでいまいち終わった感じがしない。

 以前の復活ワンマンや丘戦争はSNSで把握してはいたものの、復活そのものには特に何の感情も湧かなかった。今も割と淡々と受けとめている。


 DIR EN GREYのほうは学生時代にMステに出ていたのを見たことがあったかも…ぐらいの認識。

 たまたまLIVE FILMを観たらとても良かったので、同時に観られるならおトクかなーと思って上映会に行ってきた次第。

 知らない曲が多いぶん、DIR EN GREYのパフォーマンスのほうが新鮮だった。



20250404 終わりの鳥

 大人の絵本とかにありそうな話だった。


 あらゆる生物の臨終の間際に現れて最期の幕を下ろす役をつとめる…デカくて赤い鳥が出てくる。

 ある日、いつものように“声”を察知した鳥は、重病の少女・チューズデイと出会う。チューズデイは鳥を見るなり自身の状況を悟り、母親にお別れの挨拶をしたいと猶予を乞うのだが…そこからどんどんトンチキな展開が繰り広げられていく。

 鳥さん自身このイヤな役回りに心底うんざりしている様子だけれど、真っ赤な羽とユニークなキャラのせいか、暗くならずに観ることができる。


 チューズデイのお母さんが本格的に絡みだしてからのマンガみたいなありえん描写がなんとも不思議な雰囲気。

 途中から目に見えて分かりやすく死にかけの生き物がたくさん出てくるので、グロいの苦手な人にはちょっとキツイかもしれないんだけど…。


 とはいえ、どんなに辛くてもお別れは受け入れなければならない。そういう現実の部分もしっかり描かれていた。

 ただ単にヘンテコな世界観を見せて終わりにしないところが素敵だった。



20250329② 怪獣8号 第1期総集編/同時上映「保科の休日」

 初見だが分かりやすくまとまっていたと思う。


 家にテレビがないのと、もともとアニメやドラマを見るために「毎週決まった時刻にテレビの前に待機する」という習慣がないためリアタイで追うのが面倒くさかったのだが、最近はこういった映画館上映でイッキ見できるものがあって助かる。


 最序盤で視聴者を食いつかせるためなのか、『シン・ゴジラ』をかなり意識した描写がいっぱいあって、そこは何か妙に気恥ずかしくなってしまった。



20250329① ミッキー17


 パラサイトとミッキーだったらミッキーのほうが好み。スノーピアサーは未見。

 宇宙が舞台で、リプリントという何度死んでも人体を(保存しておいた生前の記憶ともに)再生させられる技術は出てくるものの、SFというよりファンタジーのような印象を受けた。

 というか、SFだと思って観ようとすると細かい部分を詰めきれていないのが目についてしまうと思う。


 ミッキー君は人の命を弄ぶ非道な借金取りから逃れたい一心でエクスペンダブルズに志願したが、内容をよく確かめずに契約書にサインしてしまったため、地球を離れてからは現実なら絶対アウトなあらゆる人体実験をその身に試され、死んではまた再生させられるのを繰り返している。


 ミッキーの周囲の人達の彼に対する態度や全体の能天気さと、ロバート・パティンソンのいろんな死に方の演技との対比が印象的だった。


 底辺なんて言葉では表しきれない雑な扱いを受け続けるミッキーだが、ナーシャという彼女ができる。観ていて「なんでよりにもよってミッキーに惹かれたの?」と不思議なくらい有能な女性がグイグイ来る。

 彼女のミッキーに対する好意の度合いがハンパない。まるでワンピースのボア・ハンコックか、あるいはラノベのヒロインのごとくゾッコンだった(死語か…?)。


 後半、弱気なミッキー17と、これまでの自身への扱いにたいする怒りからか別人のようにオラついた人格と化したミッキー18が出会うことで話が動きだす。

 けれど、なんだかんだナーシャのほうが目立っていた。

 世の中を変えるヒーローはナーシャのような女性なのだと言いたげだった。


 怒りにまかせて何もかもブチ壊す・派手に暴れるほうが盛り上がるんだけどなあ…と物足りなさを感じつつ、じんわりくる締めくくりは好きなやつ。



20250322② 白雪姫

 子供時代を思い返すと、プリンセスの物語はエンタメだった。

 現代の価値観を盛り込んで作られたものは、エンタメではなく、幼児向けの教育番組と受けとめたほうがいいのかもしれないと思った。


 これの前にウィキッドを鑑賞したばかりだったのもあって、「人の容姿・見た目」の扱いについて異なるアプローチをしている作品をいっぺんに観たなって感じ。


 現実の女児なら、早熟な子ほど、小学生だろうがメイクをしたがり、服やバッグなどの持ち物にもこだわる。そこにはある種の本能みたいなものが働いてるように感じる。

 そこいらの女の子に見てとれる行動パターン・王子様との出会いを夢見ることや見た目の良し悪しについての価値観が、大人や社会から植え付けられたものって考え方もあるみたいだけれど、どうにもしっくり来ない。ただ、かつてのディズニーのプリンセス映画が女の子の願望を刺激して商売してきた面は間違いなくあると思う。


 現代はどうかというと、大人は人の見た目や美しさに関することをポジティブにはとらえておらず、外見からハッキリとわかる国籍やルーツや身体的特徴にまで踏み込んだルール作りに一所懸命だ。

 容姿にステータス全振りだった白雪姫も、もれなくその対象となった。


 仮に主演をオーディションでいちばん歌唱力のある人から公正に選んでいたのだとしても、白人に決まれば「ディズニーはアップデートができていない」と文句をつけられただろう。

 白人以外に決まっても結局「ディズニーは原作の設定を無視した」と炎上した。

 じゃあ、作る前から詰んでたんだろうか?…とも思ったが、高すぎる制作費を興行収入で回収できるかがビミョーなだけで、大失敗ってほど酷くもない。そもそもガチで駄目な作品だったら劇場公開せずしれっと配信になっている(アルテミス・ファウルの実写版とか)。


 ビジュアル面ではハイホーのVFXはかなり力を入れていて迫力があった。ガル・ガドットが演じる魔女の出てくる場面も、どれもおっかなくてよかった。

 ただそういうシーンもあるにはあるが限定的で、退屈なパートはものすごい退屈で落差がひどい。合成の作業から逆算したんじゃないかと思いたくなる同じようなアングルが続くのも飽きてしまう。

 凝ってないほうの実写パートだと、中盤でそこらへんの雑木林でロケしたような安っぽいシーンが挟まる。緊張感のなさからじっと座って観てるのが辛かった。


 こまかい改変以前に映像の出来のバラつきがノイズなんだけど、それに加えて、話の内容が子供の目線を意識したものになっているから、大人は余計に退屈だった。


 ヴィランの王妃の設定はというと、鏡に自身の美しさを尋ねてはいるがやっていることは宝石集め=富の占有だ。あやしげな術でガワの見た目を美しく変えることができる人が、変わらぬ美しさ(宝石)をたくさん持っていることが美しさの証明であると高らかに唄う。

 王妃の歌曲からは「人の美しさを妬むことの醜さ」ではなく「ひとりじめはいけません」の物語に論点をずらしているような印象を受けた。


 プリンセスは現代的な解釈のため外見の美しさは不要となり、じゃあ何をやればいいのかとなったところに提示されたのが、北朝鮮みたいにされてしまった自国のゆたかさを取り戻すために理想のリーダーになることが己の使命だと気づくというもので、その根拠が心の美しさだという。

 なので本編の白雪姫は国民からの好感度が高くなるようなエピソードが盛り込まれていた。よくもわるくも庶民的なプリンセスだなと、そういうふうにしか見えなかった。


 レイチェル・ゼグラーがまるで「歌はうまいがオーラがない人」のようになってしまっていたが、見せ方のせいかなという気がする。

 『ウエスト・サイド・ストーリー』のマリア役の時には、恋する純粋無垢な乙女を演じていた。演じようと思えばできる人に、あえて親しみやすさを狙ってガハハと笑う元気なお姫様をやらせたのだと考えられなくもない。

「ひとりじめはいけません」

「ケンカはいけません」

「人に親切にしましょう」

「機嫌がわるくなったら口笛を吹いて掃除でもしましょう」

という教育番組みたいな主題には、すました非力なお姫様よりも、友だち先生や歌のおねえさんに近い雰囲気のほうが合っているのかもしれない。


 しかしその割には、終盤で白雪姫と王妃が対峙するシーンではレイチェル・ゼグラーの肌を白く見せる加工がなされていた。肝心な場面で白くしちゃったらこれまでの演出は何だったのか。


 個人的には、白雪姫は色白の人でやってほしかった。

 肌が真っ白な女優を起用しつつ、美しいことはスタート地点に過ぎないという描き方もできたんじゃないだろうか。

 物語の中で困難を乗り越える姿を通して、美しさと強さを両立させた存在を創造する、「ただ美しいだけじゃない」と思わせる方法もあったのではないか?


 「肌の色は関係ない」と言いたいがために白くない人を立てるのは、安直すぎる気がした。



20250322① 教皇選挙

 単純に建築や衣装の見映えがいいので眺めるだけでも充分に元が取れた。


 オジサン達ばかり100人ほど集まって、自分らの中からいちばん偉い人を選出する話。


 とは言え純粋な信仰心だけで決まるというものでもないようで。

 根回しも謀略も、そこらへんの政治家や企業や病院の長を決めるのと同じように、あらゆるカードを繰り出して戦っていく。

 そこまでして法皇になりたい有力候補たちの様子に、歴史ある宗教団体のトップを決める選挙“なのに”ああなのか、そういう特殊な選挙“だから”ああなのか、あれはどっちなのかと考えてしまう。


 途中の投票結果がころころ入れ替わるから飽きなかった。


 ただ不勉強なままカトリックについて何も知らずに観てしまったせいで、あのオチはピンと来なかった。

 もう少し勉強してからまた観なおしたい。



20250308 ウィキッド ふたりの魔女

 洋画では珍しく人が入ってる印象を受けた。


 同じく舞台から実写化したミュージカル映画でも、スティーブン・スピルバーグ監督の『ウエスト・サイド・ストーリー』がスッカスカだったのを思い出す。そっちはもう話もダンスも古いのかもしれない。


 ウィキッドは世界観こそファンタジーだけれど、学園モノだし振り付けもイマドキ。誰が見ても楽しいように作られてる。

 凄い名作かと言われば別にそんな感じはしなくて、普通の映画だと思ったけど。


 内容はオズの魔法使いの前日譚と言いつつ原作の設定を借りて書かれた女の友情にまつわる物語で、オズ〜はぶっちゃけ予習しなくても観ることができてしまう。

 スクールカーストの一番上と一番下に位置する二人が仲良くなるというシチュエーションには現実味がないし、歌って踊るパートが多すぎる作りは長ったらしいとさえ感じた。

 でも衣装は力入れてるだけあってすごく良かった。

 前評判も分からないうちからこれだけ注目を集めたのは、宣伝で見映えの良さをアピールできたのも大きいんじゃないか。


 観てみたらアリアナ・グランデが意外と上手かったのが印象に残る。

 のちの南の善き魔女・グリンダ(ピンク色のほう)の学生時代は、コミュニケーション能力がカンストしており良く言えば他者を味方につけるのが上手い、悪く言えば立ち回りだけは上手い、というキャラクターだった。彼女をアリアナ・グランデがコミカルに演じており嫌味な感じに見えない。

 いや観客の経験則によっては普通にムカつくか。あーハイハイいるよねこういう女、みたいな。

 最後まで立ち回りだけは上手くて、この無意識に計算できてしまうところはむしろ彼女のほうが恐ろしい魔女だったように思う。


 冗長なのを除けばとくに文句はない映画だったが、オズの魔法使いを読んだことがあるとオズ役がジェフ・ゴールドブラムなのはイケオジ過ぎて違和感をおぼえた。

 とは言え、この作品には「人は、見た目と、人を惹きつける力に弱い」という残酷な要素も含まれている。

 お客さんだってキャスティングを理由に観に来たところはあるよね? と言われたら返す言葉もない。



20250228 バンパイアハンターD

 期間限定に弱いので観てきた。


 『どうすればよかったか?』をイオンシネマで観たら予告が流れた。1分ほどの予告だけでもたいへん美しい絵で心を鷲掴みにされて、是非観たいと思っていた。


 そのほかには過去にYouTubeやInstagramなどで外国人が(無許可で)映像の一部抜粋を紹介したものを見たことがある程度だった。

 話の筋もよく知らず、実は本編を観るまでレイラを男だと思っていた。だって見た目コブラだし。口を開いたら林原めぐみの声がして結構ビックリした。


 原作のイラストを担当されている天野喜孝の絵柄が破綻せず動き回るのがなんかもう凄かった(映画のキャラクターデザインは別の方が手掛けているが)。これは外国人もシェアしたくなる気持ちは分かる。いや無許可はダメだけど。


 リマスター版ということでおそらく公開当初よりも色鮮やかになってるんだろうけど、やたらと光の明滅がある場面を除けば「目にやさしい色使い」と感じた。

 セルアニメの色の出しかたは限られていただろう。

 現代のデジタル作画は光をもとにできるからこその色彩設計で、とっても派手だ。ジークアクスの主人公マチュの髪色やガンダムの戦闘シーン、ヒプマイのステージ演出なんかは現実じゃありえない配色だ。目が疲れる。


 昔のほうが良かったと言うつもりはないけれど、ゴシック要素とか美術の約束事を守って作られたものの美しさもあるよなあ、と、過去の作品を観ると思う。



20250224 どうすればよかったか?

 世間におけるキ○ガイの認識がまだ古かった時代に精神分裂病を患ったお姉さんと、お姉さんを病院へ連れていくのを頑なに避けるご両親を、当事者である弟さんが20年以上かけて録り続けたドキュメンタリー。

※映像作品としてまとめる旨を存命のお父様へちゃんと了承を得て公開されている。


 会話が成り立たなくなったお姉さんを「どうすれば」ではなく、

 会話はできるが話の通じない両親を「どうすれば」という話になっていた。


 このご家庭においての「どうすれば」にかかる課題は2つある。

①どうすれば、姉を精神科に連れて行けるのか

②どうすれば、両親に姉の病気を認めさせられるのか


 ①、お姉さんを病院に連れていくことについて。

 映像内の描写だけでは、弟さんがどこまで分裂病について学んだか分からないので何とも言いづらいのだけど。

 患者自身に自分が病気になってしまったという自覚=病識がないのが分裂病の難しいところなのだろうけど、

 もし、何よりも「姉のことを救いたい」と思うのであれば、力ずくでもお姉さんを病院に連れていく方法を考えればいいのに、と思ってしまった。


 ②、親を説得することについて。

 不可能だったと思う。

 ご両親は大変優秀な方々だ。特にお父さんが、優秀だからこそ「自分達のやることはうまくいっている」というバイアスに嵌まってしまっていたように見える。

 話しても話しても、スルスルとすり抜けていくような感じだっただろう。


 弟さんは「自分の説得により②親が姉の病気を認める」→「“親が”①姉を受診させる」の順序にこだわり続けており、何十年もかけて家族会議ばかりしていた。


 病気の内容が内容だけに人に相談しづらいのは想像がつく。が、医者だって最初の(誤診したらしい医師)一人だけじゃない。

 ネットを利用して匿名で知恵を集めることだってできたかもしれない。

 公開された部分を見た限りでは、弟さんがどこまで外部・第三者へ助けを求めたかまでは分からない。


 どうすればよかったか、に私なりに回答を出すとすれば、

「監督さんが両親に見切りをつけて、さっさと姉を病院に連れて行く」

かな。


 変わるべきは弟さんのほうだったのではないだろうか。



20250222② ブルータリスト

 100分+休憩15分+100分=215分の壮大な物語。

 エイドリアン・ブロディが主演男優賞にノミネートしたのは、それだけ演じなければならない年齢が幅広く、演じ分けをしっかり見せることができたからかなあと思う。200分以上かけてるんだもの。


 まるで伝記映画のようなフィクション。

 入場者特典で「建築家ラースロー・トートの創造」というガイドを配布されたのも相まって、うっかり史実だと真に受けそうになった。


 世界観も伝記映画っぽけりゃ主題もなんだかイマドキの伝記映画っぽかった。

 二部の後半部分で、アメリカ(というか金持った権力者)がいかに悪者であるかを見せつけるための場面がある。

 その人は最後に文字通り「消えて」しまい、

 残ったのはラースローが建てたコミュニティセンターと彼の家族、姪っ子(とその子孫)だけ。


 終盤の描写なんかはもうアメリカの映画で似たような主旨のものがいっぱい出てきたのでお腹いっぱいなんだけど、まだこういうの作るつもりなんだろうか。



20250222① 映画ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-

 ディビジョンと呼ばれる地域ごとに所属するラッパーの兄ちゃん達のバトルを、「専用アプリで投票」することによって観客みずからジャッジするという、特殊な上映スタイル。

 このジャンルについて全く知らないが、アプリの操作感に興味があって観てきた。

 実は2試合目以降は観ていない。

 途中でスマホ持ったままトイレに行ったら設定がクリアされてしまい以後の投票ができなかったため、集中力が切れてしまった。

 アプリのほうは各バトルの投票の時間制限が10秒しかないのが初見にはなかなか慌ただしいと感じた。


 選択肢で分岐する乙女ゲーを多数決でプレイするようなノリと言えばいいのか。

 映画ではなく、公演と称したほうがしっくり来る。


 このジャンルは女性オタク向けらしく、各キャラクターの顔がいい。しかもイケボで、脚も長い。どれくらい長いかというと、CLAMP作品とキャプ翼の中間くらいの長さ。

 それぞれの登場人物は何らかの職に就いているが、この描き方もどこかオタクが好きそうな記号的なものばかりだった。

 要するに現実味がないというか、清潔感に振り切った造形をしている。

 あくまで彼らはラップができるイケメンであり、けして「闇金ウシジマくん」の登場人物みたいなのは出てこないし、現実のアメリカのラッパーのような荒っぽさもない(粗暴さという記号を持たせたキャラクターはわずかにいる)。


 で、バトルシーンも、アイドルのコンサートと見紛うばかりの演出がなされていた。会場はどこかのドームか屋根付きスタジアムを模しており、ステージと花道が設置されている。

 照明バキバキのドームコンサート風のステージを用意したのは、おそらくリアルの観客がペンライトを持って応援上映することを想定してのものだろう。物販に光る指輪なんてのもあったし。

 それでいながら、各キャラクターのコールはレニー・ハート風のおばちゃんが巻き舌で読み上げる。このへんでバトルを意識させようとしたのかもしれない。


 バトルの方法は一応ラップではあるのだが、こちらもCGアニメの特性を活かした視覚効果モリモリの演出で行われる。

 ラップで発した音声を特殊なマイクが拾って、特殊なアンプ(?)が彼らの音声を何らかの技術で実体化、各選手のイメージに合わせた楽器や乗り物などの巨大なモチーフとテキストそのものがステージに浮かび上がる。

 たとえるなら湿布のCMで岩のようなフォントの「肩こり」の文字がサラリーマンの肩にドシンと乗っかるようなものだ。イケメンが繰り出すので「肩こり」などは出てきたりしないが、ネオンカラーのテキストを顕現→相手にエイッと投げてぶつける、このようなものを主な攻撃としている。

 まるでアイドルの持ち歌で格好いいラップやリリックを披露するターンを見せられるようなノリで、モチーフや文字をエイッエイッとぶつけ合う。


 ラップバトルだけどマジのdisりではなさそうな…やっぱりそこも記号的に見えた。実際の歌詞ではきちんとラップバトルしてるのかもしれないが早口すぎて聞き取れない。

 これをバトルと言われましても…って感じだった。


 とは言え。このジャンルは女の子向けだ。

 暴力が入り込む余地がないように作らなければならなかったんだと想像する。

 普通の映画としてストーリーを作ってしまえば、決められた勝敗をただ眺めるだけになってしまう。ストーリーを作ることもある意味暴力になってしまう。

 人によっては繰り返し鑑賞するのがオタクコンテンツだから、そうなると話の筋によっては自分の推しが何度も敗北する姿を見ることになってしまう。女の子は繊細だ。推しが勝てないところを見るのは嫌だ、となったら、ストーリーなんて作らないほうが良いだろう。


 皆が公平に楽しめる、ストーリーという暴力をも取り払った映像作品。

 その解が投票方式だったのだろうか。

 誰も傷つかないものを創る、という意味では正解なのかもしれないなと思った。


 「女の子ってここまで配慮せにゃならんのか」と驚いてしまったものの、オタクが金を出すものはコレくらい研究・マーケティングをしっかりとやって、見た目にもよく出来ていないと駄目なのだということが分かった。

 総じて面白い体験ができたと思う。



(追記)

 本作は封切りしてまもなく各劇場の投票結果がすべて公開され、どの映画館でどのような結果だったのか知ることができる。

 どこそこの地域のシアターではこのチームが強い、といった傾向も目に見えて分かる。

 観客が映像作品の結末をアレンジできて、箱(映画館)ごとに異なるエンディングを有している。普通の映画ではあり得ないことが起きていて凄いと思った。



20250216 セプテンバー5

 アメリカのテレビ局ABCのスポーツ中継チームが、現地で起こった人質事件を生放送する話。突発的な事件にもかかわらず、プロフェッショナルとして淡々と仕事をこなしていく。

 1972年ごろに使われた機材や放送手段をしっかり再現しているみたいで、ダイヤル式電話に、電信(初めて見た!)、写真素材の扱い、テロップの作り方であったり……今見たらかなりアナログな方式で、すべてに驚きながら観ていた。


 通訳の存在が印象的。

 アメリカから来たチームはミュンヘンでの中継のためにドイツ人のマリアンネという通訳と一緒に仕事をしている。

 チームの面々は彼女個人を尊重する発言をしていて連合国とか敗戦国とか意識してない様子ではあるものの、起きた出来事のほうはがっつり引きずっている。その辺のさじ加減も主張しすぎない程度なのにちゃんと引っ掛かりになっていると感じた。


 ほとんどの場面は「調整室」と呼ばれるモニターが並んだ部屋でのやり取りだけで進むが、緊張感がとぎれず観ることができた。

 歴史的瞬間を生放送で送ることができて大手柄といいたくなるところで終わらず、後味の悪い結末で締めくくられるのが生々しくてよかった。



2025-04-29

20250118② 機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-

 テレビ放映前に数話ぶん編集して映画館で上映しているそうで、まだまだ導入も導入の部分。

 主要キャラクターの顔見せと戦闘シーンのクオリティをお披露目する意図が強かったように見える。


 ストーリーはどうなんだろう、このペースで進めてちゃんと描き切れるのか…

 もし終盤で詰め込んでよう分からんまま終わったら、「まあ脚本に庵野秀明絡んでるし仕方ない」って、逆に納得しそうではある(笑)


 若い頃にテレビで見た・影響を受けたアニメは何々だった、という話になればその答えもそれはそれは色々あるわけで、特にガンダム作品は「どれが一番か?」なんて決められるものではなくなっている。

 アニメ・映画・小説・マンガと幅広く展開されていて、スピンオフも山ほど存在していて、プラモデルが一つのジャンルとして確立されていて、ゲーム等では他作品の機体や人物がクロスオーバーまでしている。

 とても複雑で巨大なコンテンツだと思う。


 スタジオカラーがガンダムを手掛けるとなった時に、どんなものが見られるのだろうと思っていたのだけど、

 なんか凄く「マーケティング」という言葉がピッタリくるというか。話題性がある。オタクのハートを掴む術を心得ているのは何となく分かる。とくに前半のプロローグ部分のインパクトは大きかった。

 それと、どうすれば炎上しないかをすごく意識しているような気もした。オタク媚びに見えなくもない。

 新しいのかと言われると自分は界隈の人間じゃないので分からないけど、これが今のオタクのハートを掴むポイントなのだなーと、一つのサンプルとして受けとめている。


 テレビ放映も見てみよう、とまではなりにくい所で終わってしまったので、何とも言えない。



20250118① アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方

 本編の9割くらいまで観たんだけど集中力がもたず途中リタイア。

 映像的な盛り上がりというか山場がなくはないんだけど、アップダウンの幅が低めでニュアンスを読み取らなきゃいけないタイプだった。


 ドナルド・トランプの姿を借りて「普通のアメリカ白人男性はどんな感じなのか」を描いたような印象を受けた。


 トランプがそこら辺の人と違うのは、人生のスタート時点でお金持ちの家に生まれたことと、野心を持っていたこと。それ以外は何かただの若造って感じだった。

 超〜敏腕弁護士のロイは何故か彼を気に入って力添えを申し出る。

 まるでドラえもんに泣きつくのび太のようにトランプはロイを頼り、(ロイのやり方に違和感を持ちつつも)成功を勝ち取る。

 …のだけど、けっきょく二人は仲違いしてしまった、という話。


 この映画を作った人達は、

「仲違いの根底にあるのは白人男性の同性愛嫌悪なんですよ」

と言いたげなように見えた。

 言うて白人じゃなくても同性愛に抵抗感があるのも生き物の自然な反応だとは個人的には思うので、何でもかんでも同性愛嫌悪で説明できるほど世の中カンタンじゃないだろとは言いたくなる。


 それぐらいトランプはつまらない男なんだと言いたいのかもしれないが、絵的に山場がモリモリないと画面に集中できない者には退屈だった。




20241212 (応援上映)DIR EN GREY LIVE FILM 残響の血脈 mode of UROBOROS

 時間の都合でめったに行かない映画館の席を予約したら、『はたらく細胞』の公開を翌日に控えていたとかで館内いたる所に登場キャラクターや内臓が飾りつけてあった。


 よく調べずに時間帯で選んだら応援上映だった。

 平日だから席はそんなに埋まってなかったものの、お客さんの何人かが他の観客の邪魔にならない場所に席をとってヘドバンしてた。

 私も拍手はした。…が、一曲も知らないので曲の終わりがどこなのか分からない。皆がパチパチ叩いたところで合わせていた。


 激しいし聴かせる力が物凄い。

 音楽に浸るってこんな感じなのかな〜なんてじっくり聴いてたら、心地よすぎて途中でちょっと寝てしまった。



20241130② リターナー

 主人公ミヤモト役の人の演技に目をつぶれば今観ても面白い作品だなーと思う。

 主演俳優は佇まいだけで正しさがにじみ出るイケメン。アンダーグラウンドで“仕事”を請け負う男にしては爽やか過ぎないか。

 対比で悪役の岸谷五朗が際立つのは良かったんだけど。


 2002年の作品で「黒いロングコートをまとった主人公が弾丸をひるがえって避ける」描写がある。『マトリックス』が1999年公開だから当時どれだけマトリックス流行ってたんだとなる。

 全体的に銃がでかくてゴツめなのが良かった。




20241130① PUI PUI モルカー ザ・ムービー MOLMAX

 前半がとにかくかったるい。話の筋はよくあるやつだし…と言いつつ加齢にともない涙腺がガバガバになってしまった身には、CANON号(iMac G3みたいな車体にゲームボーイみたいな画面が嵌まってる子)で何となくもう色々と察してしまって泣けた。


 後半から意外と真面目にSFやってて、ちょっと宗教的な側面もあって、前半とのギャップに戦慄した。

 『ロボコップ』ばりの尊厳破壊を見せられる。

 家族連れで観てるお客さんも結構いたのに大丈夫か。


 それとオーナーたちがあっさり自動運転カーに乗り替えてしまう描写があり、TVシリーズから登場している面々まで酷薄になったような印象を受けた。

 序盤の展開がモルカー達が冒険に繰り出すために起きてるのは分かるんだけど、大塚明夫さん演じるおじさんを除けば誰一人モルカーを気にかけないのはさすがに不自然だと思う。


「モルカー世界に“便利で快適な自動運転システム”を採り入れることは可能か?」

がテーマっちゃテーマ。

 なお結論だけ言ってしまうと「モルカー世界では無理!」という(笑)


 基本モルカー相手に人間が振り回されるのは変わらない。

 過去にテレビ放映されたものでは、モルカーの挙動は可愛いハプニングとしてウケていたと思う。

 ただ劇場版である程度の尺で一本のストーリーものにされると、話を追いたいのにモルカー達が自由気ままに振るまうため脱線にしか見えず、可愛いというより鑑賞の妨げになってしまったように感じた。


 欲を言えば(無茶を言えばのほうが正しいか)、初期作のように全編ストップモーション・人間キャラクターも喋らない形式でやれたら良かったんだろう。

 前半でかつてのキャラクター達が再登場を果たすのはいいとしても、元々の人形を使った実写ではないものを地続きの作品と受けとめるのは、私には難しかった。



20241123 (IMAXレーザー)インターステラー

 どんな話なのか知ってるし以前のリバイバル上映も観ていて大きなスクリーンでの鑑賞感も把握していたのに、冒頭のドローンのくだりでもう泣きそうだった。


 長男は相変わらず影が薄かった。演じたのがティモシー・シャラメなのが未だに信じられない。地味だ。


 終盤でマーフが幽霊の正体に気づくくだりが分かりづらかった。

 重力にかんするデータが足りなくて計算に行き詰まる→手掛かりはブラックホールの中にある(人間が踏み入ることは不可能っていうか落ちてみたところで情報を持ち帰ることができない)→移住先の候補となった星の付近にはガルガンチュアがある→父親はガルガンチュアのそばまで行っている→重力といえば過去にクーパーが子供部屋で話していたことが⋯

→「パパは重力のデータを得るために、自らブラックホールに突入したのでは」

 この一瞬で何故その発想に至るんだ。


 それが愛だと言われれば観客も素直にあっハイって受けとめるしかないんだよなあのくだり。

 あまりにテンポがよすぎて押し切られちゃう。

 映画のハッタリにスピリチュアルではなく重力とか科学を採用されると、リアルに見えて、もしかしたら本当にできるかもと可能性を感じさせるところが受け入れられてるのかなあと思った。


 待つ人の気持ちは私には分からない。時間は戻らないし人間だって進み続けているんだから、人って別に戻ってくるわけじゃないと思う。待つ側の人だけ時間が止まったりもしない。ただ、当人たちの進んだ先でまた交わることはあるかもしれない。

 どちらかと言えば長男があのあとどうなったかのほうが今は気になる。





20241109 本心

 退屈だし長いし後半ほとんどデジタル復元お母さん出てこないんだけど、

「直接言える事なら絶対そうしたほうがいい」

 というのだけは充分伝わってきた。

 イフィーさんが男気を見せるルートも観てみたかった。


 全体的に傷を癒すことに振りきってるヒューマンドラマ。

 人の死をエンタメにして泣かせる意図は無いように感じた。


 時間の流れがとてもゆったりしている。

 メインテーマのワルツしかり、全体的にセリフが棒読みみたいな淡々とした空気感しかり。

 棒読みっぽく聞こえるのは言葉一つ一つを丁寧に聞かせるために敢えてやったのかなと勝手に考えている。

 何ていうか『シン・ゴジラ』冒頭のモブみたいな大根ぽさがあるんだけど、そのなかで妻夫木聡がちゃんと上手いと感じた。淡々とした空気を崩さずにニュアンスを捉えきった芝居をしていて凄かった。

 主役のかたも上手い下手がよう分からんぐらい自然な感じだった。


 ヴァーチャル・フィギュアと呼ばれる、膨大なデータから復元されたお母さんとの対話が度々描かれるが、嘘くさくはなっていなかったと思う。

 そこは主人公のキャラによるところが大きいのかもしれない。

 主人公は自分に嘘をつけない性格で、なんか自分の欲を他者にぶつける的なこともできない人。

 目の前の母親が所詮データなのだという意識を拭い去れないまま、“故人らしき何か”を見ながら、終始自己対話を続けていた。


 それなら呪術廻戦の東堂葵にとってのイマジナリー高田ちゃんみたく空想でもできる話やんけ、とはなってしまうんだけど、とにかくAIお母さんのクオリティが高いので普通のお涙頂戴モノとは全く違う印象を受けた。

 本物と見紛うばかりの(見紛うばかりの、であってやっぱりちゃんと非常によくできたAIの演技ができてる)田中裕子をお出しされたら、さすがに主人公みたいな人でも対話できそうじゃね? って感じられる。


 テクノロジーの面でいうと、途中で出てくる闇バイトやお母さんがお節介を焼くくだりのほうが気になってしまった。

 実在した人間を復元したら、その人がやりそうな事はAIになってもやるんじゃないか? って点。

 割と怖い部分なのに物凄くサラッと流されてて、「掘り下げないのかよ!」と。

 そう突っ込みたくなるくらいにSF感を意識させない。

 そこはなんか勿体ない気がした。



20241026 八犬伝

 馬琴を題材としたエンタメ色の強い伝記映画と思えばいいのかしら。

 「虚」パートに出てくる栗山千明が栗山千明様やってて、オタクこういうの好きでしょ踏まれたいでしょみたいな感じだった。

 お百さん(寺島しのぶが演じてる馬琴のヨメさん)が最後まであんな感じだったのが良かった。あの人こそ「実」だと思う。


 読者に勇気を与えたクリエーター繋がりで、スタン・リーを思い出した。

 ラストシーンがスタン・リーが亡くなった頃のSNSみたいで。

 年とると涙もろくなっちゃってダメね。



20241019 ボルテスV レガシー

 続編やる気マンマンに見えたけど、もともとテレビシリーズの編集版だったのだと後から知った。

 不覚にも泣いた。リトル・ジョンがいい味だしてる。

 迷いのない空気感がよかった。

 フランス版シティーハンターでも感じた、異様な熱量と愛が込められた実写版だった。


 「日本のロボットアニメが、フィリピンで、現代の設定でリブートされた」ぐらいのざっくりとした認識でいたが、驚くほど違和感がなかった。

 ロボットアニメを実写化した、というより、特撮ヒーローものになっていた。子供の頃に見て慣れ親しんだ戦隊ヒーロー番組がスクリーンに映し出される。よその国が作ったもののはずなのに、もっとお国柄による違いが見出せてもいいはずなのに。見た目がフィリピン人であることを除けば「普通の特撮」。

 実写化で登場人物がフィリピン人になったことで大きく違ったのは名前と言語だろうか。

 名前は日本人名ではなく外国人らしい名前。日本人名をそのまま使ったらむしろ変だろうから現実的な変更だなと感じた。

 言語はフィリピノ語と英語のちゃんぽん。外務省のホームページで見たらそれが公用語だそうで。


 現代の設定になったことで良かったと感じた点もある。

 まず各機の操縦に音声認識を使っているという説明がある点。

 ロボットものにありがちな「◯◯◯ソード!」「◯◯◯◯レーザー!」等の必殺技を叫ぶシーンが、「音声によるコマンド入力である」とすんなり受けとめられる。

 それと、地球防衛軍のフィリピンの管区が艦隊を有している点。

 この国が今も現実の侵略と戦っていると暗に言いたいのではと思った。どこの洋上という説明はなかったが(なかったよな?)、もしや南シナ海だったりするのかなと…。


 後半のお母さん、マリアンヌ博士のくだりはなかなか無茶苦茶だし、全体的に音楽使い過ぎでうるさいし、VFXはややレトロと感じるような粗い画質だし、話も凄くベタだった。

 だけど、監督の原作アニメへの愛と、押さえたいであろうポイントと、精神的なものはとても伝わってきたので、とても良い印象を受けた。



20241005 シビル・ウォー アメリカ最後の日

 戦場カメラマン版プラダを着た悪魔とでも言えばいいだろうか。

 若い女の子に都合のいいサクセス・ストーリーだった。

 イマドキの若い子、どんな状況でも、たとえ自国で内戦が勃発しても、とりあえずカメラ持ってれば何でも撮りたがりそうな気はする。


 何が言いたいのかさっぱり分からなかった。鑑賞後にレビューサイトに頼ってようやく内容を理解した。

 事前に予習したことなんて、アメリカは軍と州兵が別ものであることと、州兵の中ではカリフォルニアとテキサスの規模が大きいことの二つだけだった。それなら内戦ってシチュエーションも人やモノには現実味があるのかな、なんて呑気に構えていたが、むしろアメリカの歴史や現代の情勢をちょっとでもニュースで見といたほうがよかったかもしれない。


 以下は、ほぼ前情報なしで観た当初の感想。


 見せたいショットの数々が先にあり、それを繋いで一本の映画に仕立てようとしてロードムービー形式になったんだろうと思った。

 同じアメリカ人同士で争う姿を限りなくショッキングに描きたい意図がある、と。

 しかし内戦中に何らかのゴール地点をめざして国内各地を転々と長距離移動できる(ガソリンや食べ物を調達できる財源をもつ)一般人は限られる。

→ロイターのベテランカメラマンが登場。

 言うてベテランはベテランで危険な地域に慣れているから、それが国内で起きても見慣れた風景ならスルーしそう。ベテランではせっかく思い描いた場面に遭遇しない可能性が。

→普通の人をやむを得ず乗せるのはどうか。その人の目をとおせば(ついでにひどくショックを受けてもらえば)凄惨な場面も際立つのでは。

 でもそんな状況下で普通の人は自分の身を守るのが精一杯で、同乗させても車からは一歩も出てこないだろう。

→ならば好奇心旺盛な人が自らの意思で乗ったことにしよう。

 好奇心旺盛な人といえばYouTuberやインフルエンサーがいるが、ロイター相手に掛け合ったところで門前払いを食らいそう。

→業界経験のないカメラマン志望の若者ならどうでしょう。

…とか、そんなところじゃないだろうか。


 それで加わったであろう、『エイリアン ロムルス』で主役をやり遂げたケイリー・スピーニー演じるジェシーが、とにかく浮いてしまっていた。


 戦場カメラマンへの憧れだけでそのテの仕事は全く未経験くさい若い女の子がベテランクルー達について来てしまう。

 この“未経験”って部分に無理があるのは書き手も内心思っていたのか、「足の悪い肥満男性も同行できてるし…」「ジェシーがついて来る事を承諾したクルーの男性が、彼女と話していた時は泥酔していたし…」とちょいちょい言い訳が挟まる。


 ジェシーは戦場カメラマンになりたいとは言うが調べ物はWikipediaで済ませるタイプらしく、有事や紛争地帯などへの知識も薄そう。

 それに自分の身を守る術も知らなければ危機感もない。

 この子が、また、話の都合上あぶなっかしい行動ばかり取る。

・見たいものがあるからとクルー達から一人で離れ、背後から知らない男が近づいてきてもまるで警戒しない。

・後ろから服を掴まれ「それ以上出たら危ない」と引っ張られてるのにしょっちゅう飛び出そうとする。

・軽率な行動をとってクルー全員を命の危機にさらす。

・道中とくに意味もなくゲロを吐く。

・カメラを構えることに夢中になりすぎて、兵士から「伏せてろ」「下がれ」と度々忠告される。

…それでいて、ショッキングな場面に遭遇すると涙目で震えあがりオロオロする。この演技がだいぶ大袈裟でほとんど十代の少女にしか見えない。

 判断力がアレ過ぎるしずいぶん若い子なのかな? と思っていたら本人の口から23歳と言っててズッこけてしまった。

 そんなジェシーに職業体験をさせつつお守りもしなければならなかったベテランクルー達が気の毒でならない。


 ジェシーがホンモノの紛争を目の当たりにしてショックを受けるのは自然な反応だと思う。演技がオーバーなのはともかく。ただ、話を動かす役割も兼ねたジェシーの動かし方が、全体を通してバカっぽい。「なんだこの子は」と呆れてしまった。


 でも、まあ、こういう無理がある話って、国内の作品でもあるよなあーとも思う。

 もしかして、芸能事務所からのゴリ押しでこっちをメインにしろと押し切られてこんな話になっちゃったんじゃないか? あるいは、ケイリー・スピーニーが気に入られ過ぎて台本のオチまで差し替えたんじゃないか? とまで疑いたくなった。


 それでも撮らずにいられないカメラマンの業を背負ってしまったといえば矛盾はないのだけど、にしたって途中の話が雑すぎた。


 いっそのことジェシーは赤グラサンニキの所で退場していただき、最後はベテランの女性カメラマンに軍配が上がる形になって欲しかった。

 ジェシーのこれまでの行動を振り返ると、若いカメラマンの覚悟や成長というふうにはとても見えなくて、オチが強引としか思えなくて…。

「若い女の子に都合がいいだけの話」に見えちゃってしょうがなかった。


 アメリカの若者が映画館で紛争のおそろしさを知るのにちょうどいいアトラクション、ぐらい割り切って観るのがいいのではないか。



2025-04-20

20240927 ビートルジュース ビートルジュース

 全然合わなかった。

 開始30分でギブアップ。ジェナ・オルテガが自転車こいでるところまでは見た。


 特殊メイクや特撮はたしかに見応えがある。

 どこか懐かしさを感じさせる空気感も魅力的だし、元嫁が復活するシーンなんて死体とは思えない艶かしさだった。


 だけど登場人物に全く惹かれない。

 死体だからとかそういうんじゃなくて、生きてる人間にもマトモな人が本当にいなくて…いやそういう話だから仕方ないんだけど…

 みんなとても個性的なキャラクターで、それゆえに会話が会話になっていない。

 噛み合わなさの妙を楽しめる人(Wボケ漫才が好きな人とか?)にはいいんだろうけど。

 それぞれが一方通行な話し方をするのが、私には思いやりのなさを強調しているように感じられて、ただただキツイとしか思えなかった。

 「いい年した大人が…」以外の感想が見つからない。


 最後まで観たら印象も変わるのかもしれない。

 しかし根気が続かなかった。



20240920 DIR EN GREY LIVE FILM 残響の血脈 mode of Whithering to death.

 合間に挟まるインタビューパートの、ヨーロッパの街で撮影された皆さんのまあ画になること…


 楽曲はほぼ知らない。

 エンドクレジットで使われた曲だけは昔テレビで流れていたのを聞いたことがあるかもーって感じだった。


 DIR EN GREYを知らない人から観ての所感だけど、満足度は高かった。

 演奏は間違いないわけだし、ライヴ映像をただ流すだけじゃなくて途中でインタビューを挟むのが息つぎポイントになっていてとても見やすく感じられた。

 インタビューのロケーションも海外公演であることがより伝わってきて楽しめた。

 あと「客が外国人だから見れた」というのはある。

 これがもし日本の公演の録画だったら、多分お客さんの顔が気になっちゃって観てて落ち着かなかったんじゃないだろうか。


 音響は聴き取りやすさ優先だった気がする。

 まあせっかくバンドのライヴドキュメンタリーを上映するんだから轟音シアターでやればいいのに、と思わなくもなかったけど、インタビューもあるとなると全編で爆音という訳にもいかないのか。


 最後に気になった点を一つだけ。

 ボーカルの人、引きの画面だとヘアメイクのせいで芸人の鉄拳にしか見えなかった。




20240916② (吹)エイリアン ロムルス

 9月6日に字幕版を鑑賞済みで、これが2回目。

 初めてエイリアン作品に触れる若い人、劇中の登場人物と同年代の人達の気持ちを想像しながら観ていた。

 世代によっては『エイリアン』のフランチャイズを観たことがなくロムルスが初めてという方々もおられると思う。

 私も初めて観たプレデターが『ザ・プレデター』だったクチだけど、そっちの観点からするとロムルスってチュートリアルとしてはかなり親切だなと感じた。


 劇中の彼らはいわば親ガチャがハズレだった人々だ。生まれた星もハズレ、親も貧しくてハズレ(と思ったりはしないだろうがハタから見ればそんな感じ)、本人たちの就職先もハズレ。

 劣悪な環境のもと使い捨てられていくだけの人生、そりゃあ会社の規則を振り払って新天地を求めたくもなるだろう。


 この世の不条理を体現してきたウェイランド・ユタニ社のロゴがちょいちょいチラつくことで、あの会社がシリーズの悪役を担っているのがよく伝わるようになっていたと思う。

 エイリアンのシリーズとしての良し悪しは観る人の価値基準によって変わってくるので何とも言えないけれど、若者を襲う理不尽さとそれを生み出した象徴たるウェイランド・ユタニのロゴは相性が良いんだなーと思えたんで、トータルでは「悪くなかった」って感じ。


 でもちょっと物足りなく感じたのも否定できない。


 最後のアレができちゃったのが事故だったみたいな流れなのも、不満といえば不満。

 研究内容がもっと非人道的だったら良かったのに。




20240916① スオミの話をしよう

 よそのレビューでも見た通り舞台“っぽい”作り。自分には合わなかった。


 寒川氏の豪邸(のセット)で現在の夫や元夫を演じる5人の役者+αの掛け合いを楽しむ、という趣旨は分かる。

 芝居が大事なのだから音楽や場面転換が少ないのも分かる。

 彼らの回想からスオミの正体を考える過程を観客が共有する意図も、そのためにわざわざ長澤まさみが色んなコスチュームで現れたのも頭では理解できる。

 しかしそのスオミが余計というか、浮いているようにしか見えなかった。


 もしこのお話をそのまま舞台でやっていたら、夫達の会話劇を楽しむ要素が前面に出て、スオミは登場しない(あるいは最後にちょっとだけ出てくる)構成になっていた気がする。

 舞台なら演出上見せなくていいスオミの姿を映像で補完しようとした結果、舞台“っぽい”雰囲気が変に残ったどっちつかずな作りになってしまったような気がした。

 長澤まさみの演じ方がわざとらし過ぎる。求められたキャラのために演じきってしまうからこその嘘くささだから凄いと思う。でも、あそこまで振り切ってしまわれると、観るほうとしてはなんだか可愛く思えなかった。

 欲を言えば、もうちょっとスオミに影があってもよかったんじゃないか、と感じてしまうような…

 「この夫達、こんな女に騙されてたの?」としか思えなくて、観ててキツかった。

 ただ、これ、自分が女だからこういう感想になっただけかもしれない。


 ギャラクシー街道の虚無に比べればスオミは空虚というだけで、ちゃんとまとまってて普通に面白かった。



20240906 (字)エイリアン ロムルス

 ロムルス船内と植民惑星のセットの雰囲気が凄く良かった。70〜80年代の人が考えた未来っぽさというか。

 あの空間がスクリーンいっぱいに写し出された時、ああこの古臭さだ、本当にエイリアン1作目の続きなんだなあ、としみじみ思った。


 ローションに頼らず強酸性の体液の設定を活かしてるのが好き。

 フェイスハガーの真ん中から出る管なんかは、生殖器目線(?)の「ちょうどいい量の濡れてる具合」が出てる気がして、イヤらしい見え方になっていたと思う。

 言うてあんまり怒張した男根を意識させちゃうとレーティングが上がってしまいそうで、このへんが商業的な限界なのかなと受けとめている。


 ロボットであるアンディの位置づけは意外で面白かった。

 デイヴィッドではなくドラえもんとかベイマックスみたい。あえて欠点を強調する感じというか。たとえポンコツでも彼を愛するところにオーナーであるキャラクターの人間らしさが見えて良い。

 そういう役どころを黒人に演じさせるのがディズニーらしいというか何というかだけど…。


 お話は1作目を周回してるような感覚だった。リプリーからレインに置き換えただけと言えなくはない。

 そういう役どころをルークからレイに替えて使い回してるような感じがディズニ(略


 レインの容姿、若干レイと被ってるのがまた…

 相棒が黒人なのも被ってるし…

 ディズニーはエイリアンのやり直しをしたいのかスター・ウォーズをまたやりたいのか、何なんだろう。

 もしロムルスに続編があったら上半身裸の男が登場したり、レインが刀身の光るブレードでゼノモーフをばっさばっさと斬り倒したりするのかもしれない。ディズニーストアに「DXレイン刀」が並ぶ日も近いんじゃないか。


 既視感の強さが人によってはアリと出るかナシと出るか、反応が別れるかもしれない。


 でも、こればっかりは致し方ないと思う。

 こちとらゼノモーフのスペックに始まり各種エイリアンのタイプもリプリーのキャラも、続編も、プロメテウスからコヴェナントの経緯もだいたい把握してるわけで。


 「もしも普通の若者たちの訪れた先がエイリアンの巣窟だったら」

 って話で普通に脱落していく様子を見たって、まあそうなるよなとしか思えなかった。

 ドンブリも想起させられたので(特に導入部分)、ますます既視感が…。

 普通の若者を描くのが上手い監督さんなんだと思えばいいか。


 主人公レインはあの状況で冷静沈着、賢くてしかも器用なところは普通じゃないんだけど(笑)、一つ前に観たのが『アシッド』で悲鳴あげてるだけの女の子にイラッとしたばかりだったので、いわゆる“地頭のいい”レインには好感が持てた。

 ただ彼女も芯の強さはあっても熱いキャラではない。観る側もどこか冷静なまま観てしまってテンションが上がったりはしなかった。


 細かい所で好きな部分は色々あったけど、

 全体を通して1作目リスペクトの強さゆえ特に強く印象に残ったシーンというのがなくて、観ててちょっとダレた。