2025-04-30

20250322② 白雪姫

 子供時代を思い返すと、プリンセスの物語はエンタメだった。

 現代の価値観を盛り込んで作られたものは、エンタメではなく、幼児向けの教育番組と受けとめたほうがいいのかもしれないと思った。


 これの前にウィキッドを鑑賞したばかりだったのもあって、「人の容姿・見た目」の扱いについて異なるアプローチをしている作品をいっぺんに観たなって感じ。


 現実の女児なら、早熟な子ほど、小学生だろうがメイクをしたがり、服やバッグなどの持ち物にもこだわる。そこにはある種の本能みたいなものが働いてるように感じる。

 そこいらの女の子に見てとれる行動パターン・王子様との出会いを夢見ることや見た目の良し悪しについての価値観が、大人や社会から植え付けられたものって考え方もあるみたいだけれど、どうにもしっくり来ない。ただ、かつてのディズニーのプリンセス映画が女の子の願望を刺激して商売してきた面は間違いなくあると思う。


 現代はどうかというと、大人は人の見た目や美しさに関することをポジティブにはとらえておらず、外見からハッキリとわかる国籍やルーツや身体的特徴にまで踏み込んだルール作りに一所懸命だ。

 容姿にステータス全振りだった白雪姫も、もれなくその対象となった。


 仮に主演をオーディションでいちばん歌唱力のある人から公正に選んでいたのだとしても、白人に決まれば「ディズニーはアップデートができていない」と文句をつけられただろう。

 白人以外に決まっても結局「ディズニーは原作の設定を無視した」と炎上した。

 じゃあ、作る前から詰んでたんだろうか?…とも思ったが、高すぎる制作費を興行収入で回収できるかがビミョーなだけで、大失敗ってほど酷くもない。そもそもガチで駄目な作品だったら劇場公開せずしれっと配信になっている(アルテミス・ファウルの実写版とか)。


 ビジュアル面ではハイホーのVFXはかなり力を入れていて迫力があった。ガル・ガドットが演じる魔女の出てくる場面も、どれもおっかなくてよかった。

 ただそういうシーンもあるにはあるが限定的で、退屈なパートはものすごい退屈で落差がひどい。合成の作業から逆算したんじゃないかと思いたくなる同じようなアングルが続くのも飽きてしまう。

 凝ってないほうの実写パートだと、中盤でそこらへんの雑木林でロケしたような安っぽいシーンが挟まる。緊張感のなさからじっと座って観てるのが辛かった。


 こまかい改変以前に映像の出来のバラつきがノイズなんだけど、それに加えて、話の内容が子供の目線を意識したものになっているから、大人は余計に退屈だった。


 ヴィランの王妃の設定はというと、鏡に自身の美しさを尋ねてはいるがやっていることは宝石集め=富の占有だ。あやしげな術でガワの見た目を美しく変えることができる人が、変わらぬ美しさ(宝石)をたくさん持っていることが美しさの証明であると高らかに唄う。

 王妃の歌曲からは「人の美しさを妬むことの醜さ」ではなく「ひとりじめはいけません」の物語に論点をずらしているような印象を受けた。


 プリンセスは現代的な解釈のため外見の美しさは不要となり、じゃあ何をやればいいのかとなったところに提示されたのが、北朝鮮みたいにされてしまった自国のゆたかさを取り戻すために理想のリーダーになることが己の使命だと気づくというもので、その根拠が心の美しさだという。

 なので本編の白雪姫は国民からの好感度が高くなるようなエピソードが盛り込まれていた。よくもわるくも庶民的なプリンセスだなと、そういうふうにしか見えなかった。


 レイチェル・ゼグラーがまるで「歌はうまいがオーラがない人」のようになってしまっていたが、見せ方のせいかなという気がする。

 『ウエスト・サイド・ストーリー』のマリア役の時には、恋する純粋無垢な乙女を演じていた。演じようと思えばできる人に、あえて親しみやすさを狙ってガハハと笑う元気なお姫様をやらせたのだと考えられなくもない。

「ひとりじめはいけません」

「ケンカはいけません」

「人に親切にしましょう」

「機嫌がわるくなったら口笛を吹いて掃除でもしましょう」

という教育番組みたいな主題には、すました非力なお姫様よりも、友だち先生や歌のおねえさんに近い雰囲気のほうが合っているのかもしれない。


 しかしその割には、終盤で白雪姫と王妃が対峙するシーンではレイチェル・ゼグラーの肌を白く見せる加工がなされていた。肝心な場面で白くしちゃったらこれまでの演出は何だったのか。


 個人的には、白雪姫は色白の人でやってほしかった。

 肌が真っ白な女優を起用しつつ、美しいことはスタート地点に過ぎないという描き方もできたんじゃないだろうか。

 物語の中で困難を乗り越える姿を通して、美しさと強さを両立させた存在を創造する、「ただ美しいだけじゃない」と思わせる方法もあったのではないか?


 「肌の色は関係ない」と言いたいがために白くない人を立てるのは、安直すぎる気がした。



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